老子の思想 ー無謬なる、道(タオ)の運動ー 現代語訳『老子』
桝谷情報事務所 代表 桝谷曜至(ますや てるよし)
公開日:2022年10月24日
文章の最終修正日:2025年3月17日
誠に僭越ながら、私が老子の思想の核心を探求して得たところの知識等について述べさせていただきます。この情報は、学術的なものではございませんし、また、強靭な学力に裏付けられたものでもございませんが、その根幹において、必ずや、読者の皆様のご利益となるものであると確信いたしております。
ではまず最初に、東アジアの地理、老子が活動したであろう時代までの中国の歴史、老子という人物ならびに『老子』という書物の成り立ち等についての簡単な説明をさせていただきたいと思います。
東アジアとは、半島や東辺に連なる列島をも含むユーラシア大陸東部のことを言います。その地域は、西は高原と山脈、北は平原と砂漠、東は太平洋によって他の地域からある程度隔てられています。
現在、ユーラシア大陸東部の大部分を占めているのは中華人民共和国、すなわち、中国ですが、その国土は、大シンアンリン山脈とユンコイ高原の東の端を結んだラインで東西に区分することができます。
この西側にはアルプス=ヒマラヤ造山帯(※1)の一部であると共に、東アジアと南アジアの境ともなるヒマラヤ山脈(※2)があり、そしてその北西には「世界の屋根」といわれるパミール高原が、北には標高4000メートル以上のチベット高原があります。チベット高原の北にはタリム盆地が、さらにその東にはモンゴル国の国土にも広がるモンゴル高原があり、さらにその南にはホワンツー高原・スーチョワン盆地があります。これらは一部を除き、標高1000メートル~3000メートルの起伏のある地形となっています。そして、チベット高原からは、黄河(こうが)(※3)と長江(ちょうこう)(※4)の源流が流れ出ています。
東側には北からトンペイ平原、華北平原(かほくへいげん)、長江中下流平原等の標高1000メートル以下の丘陵と平野があります。(※5)トンペイ平原は、北東から南西へ向かっては開けていますが、南東へ向かっては地形が次第に高くなり、その先に朝鮮半島、すなわち、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国があります。朝鮮半島は、その東側にはテベク山脈がのび、西側には平野が広がっています。朝鮮半島と、日本海を挟んで向き合う形で日本列島、すなわち、日本国があります。日本列島は山がちで平地が少なく、環太平洋造山帯に属するので火山や温泉が多くあります。
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※1. アフリカ大陸北部から、ヨーロッパ南部、西アジア、中央アジア南部、南アジア北部を通って、
東南アジア西部まで続く新期造山帯のことを指します。
※2. 標高8848メートル、チベット語でチョモランマ、ネパール語でサガルマータと呼ばれる世界
最高峰のエベレスト山等がそびえています。
※3. 全長は5464キロメートルあります。
※4. 全長は6380キロメートルあります。
※5. 東アジアの大陸部は、西から東へ向かって地形が低くなっており、そこを流れる黄河や長江等
の河川の多くは、東に流れて海に注いでいます。
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東アジアの気候は地域によって大きく異なり、その東部は湿潤で、西部は乾燥しています。
中国東部の気候風土は「南船北馬(なんせんほくば)」という言葉の通り、チンリン山脈とホワイ川を結ぶ年降水量750ミリ~800ミリのラインから南、すなわち、長江流域より南側は、湿潤にして緑豊かな水辺の地域で、船による交通が発達して、米作がおこなわれており、北、すなわち、黄河流域より北側は、内陸の草原地帯へ続いている乾燥した地域で、古来より馬による移動が適して、畑作が行われています(※6)。
中国南東部・朝鮮半島南部・北海道等を除く日本列島は、温暖湿潤気候であり、季節風、すなわち、モンスーンの影響を受けて四季が明確となります。この地域では、夏は、南シナ海や太平洋の水蒸気を含んだ暖かく湿った風が北に向かって吹くことにより、高温多雨の蒸し暑い気候となり、逆に冬は、大陸内陸部からの冷たく乾燥した風が吹くことにより、乾燥した寒冷な気候となる所が多くなります。そして、5月~7月頃にかけては長雨が1~2ヶ月続く梅雨の季節となります。(※7)
また、中国の首都北京(ペキン)周辺から中国東北地方・モンゴル国北部・朝鮮半島北部は、冷帯冬季少雨気候となり(※8)、日本国の北海道等は、冷帯湿潤気候となります。
中国西部の気候は、砂漠気候やステップ気候等の乾燥したものであり、黄河上中流域のホワンツー高原の北にはゴビ砂漠(※9)が、西には北をテンシャン山脈、南をクンルン山脈に挟まれたタクラマカン砂漠(※10)があります。(※11)
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※6. その地域での主食は小麦となります。
※7. 梅雨の要因の一つは、インド洋方面からのモンスーンですが、この風はヒマラヤ山脈等に
遮られて東アジアの内陸部までは届かず、そのために中国北西部には乾燥地帯が広がっています。
※8. 北京の年平均気温は12・3度、年降水量は575ミリとなります。
※9. モンゴル高原の中央部にあり、周辺は草原地帯となります。
※10. タリム盆地の大部分を占めます。
※11. 中国南西部のチベット高原は高山気候に属します。
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古代における中国の歴史は以下のようなものとなります。
BC5000年~BC3000年頃、黄河中流域の黄土地帯(こうどちたい)に仰韶(ヤンシャオ)文化がおこりました。この文化の人々である原中国人は、彩陶(さいとう)・灰陶(かいとう)の土器や磨製石斧(せきふ)等の石器を作成し、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)の集落に暮らし、粟(あわ)・黍(きび)の栽培や豚・犬の飼育をおこなっていました。
次いで、BC2000年ないしBC1500年頃、黄河下流域の黄土地帯に竜山(ロンシャン)文化がおこり、黄河流域を中心にして長江流域までの広い範囲に分布しました。この文化の人々は灰陶・黒陶(こくとう)を作成し、牛・馬の飼育をはじめました。そしてこの文化の末期において、黄河中・下流域に邑(ゆう)と呼ばれる小さな都市国家が多く作られました。
BC1500年頃、商(しょう)という都市国家が他の都市国家をしたがえて殷(いん)王朝をひらきました(※12)。殷は氏族(しぞく)の祖先を天帝として崇め、主な国事を天の意思を問う占いによって決めていました(※13)。殷の社会は氏族制社会であり、まず、王のもとに氏族集団(王族・貴族)があり、その下に農業・手工業等を営んで貢納する氏族的集団があり、さらに多くの奴隷がいました。彼らは、高度な技術からなる銅器・青銅器を作成しました。
BC11世紀頃、渭水盆地(いすいぼんち)(※14)におこって力を蓄えていた周(しゅう)が、殷を滅ぼし周王朝をひらきました。周は鎬京(こうけい)(※15)を都とし、洛邑(らくゆう)(※16)を東の拠点として華北を支配しました。周王室は、一族・功臣・豪族を世襲の諸侯として中原(ちゅうげん)(※17)に配して領土を与えました。また、王・諸侯のもとに卿(けい)・大夫(たいふ)・士(し)という世襲の家臣があり、采邑(さいゆう)(※18)という領地を与えられ農民を支配しました。周の封建制度は、氏族制社会の秩序に基づきながらも、その主従、すなわち、君臣関係の中心は、王室を頂点とした本家・分家の血縁関係にありました。王から士にいたるまでの支配階級は、父系の同祖・同姓の集団である宗族(そうぞく)を形づくり、本家の家長を中心に祖先を祭り、宗法(そうほう)という規則によって宗族の結びつきを保ちました。また農民は、土地神の社(しゃ)、すなわち、社稷(しゃしょく)を中心に農村共同体をつくり、石器・木器等によって奴隷とともに耕作を行いました。(※19)
やがて周は、勢力を強めた諸候の反抗や西北方の異民族の侵入によって支配力が弱まったため、BC770年、東方の洛邑に都を遷しました。これ以前を西周、以後を東周と呼びますが、この東周時代の前半(BC770年~BC403年)を春秋時代(しゅんじゅうじだい)といい、後半(BC403年~BC221年)を戦国時代といいます。春秋時代は、斉(せい)の桓公(かんこう)や晋(しん)の文公(ぶんこう)等の覇者を初めとした有力諸候が、その勢力を拡大することに努めてはいましたが、周王朝は、なおも王として尊ばれていました。しかし、BC403年、晋の分割を周王が認めると、その権威は完全に失われ、韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)・秦(しん)・斉(せい)・燕(えん)・楚(そ)の七強国が、それぞれ王を自称しつつ、天下統一をめざして争いを繰り広げる、弱肉強食の戦国時代となりました。
この時代は、農業生産力が急速に増大し、鉄製農具が使用されるようになり、宗族的な大家族による共同耕作がくずれ、個々の農家による土地の私有化が進みました。また、各国の富国策の結果、大都市が繁栄し、貝貨(ばいか)とともに種々の青銅貨幣が流通しました。
そして、その激しい変化の中、新しい時代の要請に応えて活発な思想活動を展開したのが、諸子百家(しょしひゃっか)とよばれる思想家の人達であり、老子もその中の一人でした。(※20)
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※12. 伝説では、殷王朝が起こる以前、まず黄帝(こうてい)が黄河流域を支配し、やがて尭(ぎょ
う)・舜(しゅん)・禹(う)の聖天子が現れ、禹が夏(か)王朝をひらいたとされています。
※13. 祭政一致の神権政治であり、占いの内容は、亀の甲羅等に甲骨文字(こうこつもじ)で記録さ
れました。
※14. 現在の中華人民共和国陝西省中部。
※15. 現在の中華人民共和国西安付近。
※16. 現在の中華人民共和国洛陽付近。
※17. 高度な中国文明が広がっていた地域。黄河中・下流域の平原地帯を指します。
※18. 「さい」の漢字は旧字が正しいものとなります。
※19. 殷では、氏族の祖先神を天、すなわち、天帝としてあがめていましたが、周の時代になると天
帝は正義の神となりました。そして、天帝は有徳者を天子にして天下を治めさせるが、天子が不
徳な行いをすれば、他の有徳者に命じて、すなわち、天命を降(くだ)して、新しい王朝をひら
かせるとされました。これを「天子の姓を易(か)え、天命を革める」という意味で易姓革命と
いい、その時に、天子、すなわち、王朝の交代が平和裡(へいわり)に行われることを禅譲(ぜ
んじょう)、武力によって行われることを放伐(ほうばつ)といいます。
※20. 儒家(じゅか)・・・孔子(こうし)・曾子(そうし)・孟子(もうし)・荀子(じゅんし)
道家(どうか)・・・老子(ろうし)・荘子(そうし)
墨家(ぼっか)・・・墨子(ぼくし)
名家(めいか)・・・公孫竜(こうそんりゅう)
農家(のうか)・・・許行(きょこう)
陰陽家(いんようか)・・・鄒衍(すうえん)
縦横家(じゅうおうか)・・・蘇秦(そしん)・張儀(ちょうぎ)
兵家(へいか)・・・孫子(そんし)・呉子(ごし)
法家(ほうか)・・・韓非(かんび)
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ここからは、老子という人物について述べさせていただきたい思います。
『老子』という書物が存在する以上は、その著者がいたことは確実ですが、古来より、老子という人物は、その正体が全くの謎に包まれていました。最も古い老子の伝記は、前漢(BC206年~8年)の歴史家、司馬遷(BC145年?~?)が著した『史記』の「老子伝」ですが、そこにおいてさえすでに、老子として3人の人物があげられています。
その書にはまず、「老子とは、楚(そ)の苦県(こけん)厲郷(らいきょう)曲仁里(きょくじんり)の人であり、姓は李(り)、名は耳(じ)、字(あざな)は聃(たん)といい、周の都に長く住む宮廷図書室の役人であったが、周の国力が衰えたのを見てそこを立ち去り、ある関所まできた時にその関所の長官の尹喜(いんき)に請われて上下2篇、五千余字の書物を著し、そこを去った後はどこで死んだかを知る者はいない。」というようにあります。
次に、「ある説では、老萊子(ろうらいし)も楚の人であり、15篇の著書があり、道家理論の応用を説き、孔子(BC551年~BC479年ごろ 儒家の祖)と同じ時代頃の人物であったといい、「道(タオ)」の修行を積んで、160歳余りまで生き、200余歳だったともいう。」というようにあります。
そして最後に、「孔子の死後129年たった時、周の太史(役人)儋(たん)が秦の献公(けんこう)に面会し、後の世に秦から覇王となる者が出ると予言したが、この儋が老子だといい、またそうではないともいい、世の中にそのどちらが正しいか知る者はない。」というようにあります。
このように、この時代においてすでに、老子という人物の正体は、曖昧なものでした。
次に、『老子』という書物の成り立ちについて述べさせていただきたいと思います。
今本(きんぽん)、すなわち、現行本『老子』は『老子道徳経』と呼ばれ、上篇下篇の2篇に分かれ、上篇37章、下篇44章の合わせて81章からなっています。しかし『老子』という書物は、最初からこのような形で成立していたわけではありませんでした。
今現在発見されている『老子』の中で最も古いものは、中華人民共和国湖北省荊門市郭店(ちゅうかじんみんきょうわこく こほくしょう けいもんし かくてん)の第一号楚墓から出土した竹簡(ちくかん)のうちに書かれている、郭店楚墓竹簡『老子』であり、全体は甲本・乙本・丙本に分けられています。それは、戦国時代中期(BC330年~BC278年)の終わり頃のものと考えられ、今本の31章分に相当し、量は今本の三分の一強あります。内容は大部分が今本と重なりますが、上下の2篇には分けられておらず、章立てもされていません。記号によって句点・読点を示してはいますが徹底はされておらず、ただ文字だけが続いています。そして、内容の順序も今本『老子』とは異なります。この『老子』が最初に編集された『老子』であるのか、それとも『老子』の原本の抜粋であるのか等のことは、現在分かっていません。
次に古い『老子』は、中華人民共和国湖南省長沙市馬王堆(ちゅうかじんみんきょうわこく こなんしょう ちょうさし ばおうたい)の第三号漢墓から出土した絹に書かれた二種類の『老子』であり、帛書(はくしょ)『老子』と呼ばれ、甲本・乙本と名づけられています。抄写されたのは甲本がBC200年前後、乙本がそれより数十年遅れた頃のようであり、両本とも2篇に分かれていますが、甲本には2篇ともに何の題目も書かれておらず、乙本にだけ2篇の末尾に、「徳」、「道」と記されています。ただし、これらの篇の順序は、今本『老子』とは逆になっており、帛書『老子』の「徳」篇は今本『老子』の下篇にあたり、「道」篇は上篇にあたります。ところどころに句点と思われる記号はありますが、両本ともに章立てはされていません。
注釈書においては、『老子』の現存する最も古いまとまった注釈は、魏(ぎ 220年~265年)の王弼(おうひつ 226年~249年)によるものであり、それは、2篇の上下の順は今本『老子』と同じとなっていますが、章立てされていたかどうかについてまでは、明確には分かっていません。そして、今現在のところ、最初に分章したとされているのは河上公注『老子』という注釈書であり、それは、81章の章立てとなっています(※21)。
このようなことですので、いつの時点から『老子』が現在のような形になったのかは未(いま)だに分かっておりません。ただ、以上の資料等から、この書物の内容が、複数の人物の手によって長い年月をかけて変化してきたことだけは確かだと思われますし、また、その内容が、一つの思想で貫かれているところから、この書物を最初に編集した人物は、やはり一つの深遠な見解に達しており、その思想に基づいて一つの書を著したのではないかと推察されます。(※22)
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※21. 伝説では、河上公は前漢の文帝(BC180年~BC157年在位)の頃の人とされています
が、河上公注『老子』の実際の成立については、後漢時代(25年~220年)後半から六朝
時代(220年~589年)の末頃までと様々な説があります。
※22. 『老子』という書物は、或(ある)いは、箴言(しんげん)や俚諺(りげん)、及び、著者を
含む複数の思想家の文章を編集した書物のようにも見受けられます。
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ではここからは、老子の思想そのものについて述べさせていただきたいと思います。今回は、宇佐美灊水(しんすい)の『王注老子道徳経』(※23)を底本とした、『老子』全八十一章の読み下し文と、意訳的な現代語訳を記述させていただきました。
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※23. 明和本・・・明和七年、1770年刊
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第1章
道(みち)の道とす可(べ)きは常の道に非(あら)ず。名の名とす可きは常の名に非ず。名無きは天地の始め、名有るは万物の母。故に常に無欲にして以(もっ)て其(そ)の妙(みょう)を観(み)、常に有欲にして以て其の徼(きょう)を観る。此(こ)の両者は同出にして而(しか)も名を異(こと)にす。同じきを之(これ)を玄と謂(い)う。玄の又(ま)た玄、衆妙の門なり。
「世界の根元たる道(タオ)とは、こういうものである。」と明確に説明できるような道は、恒常なる、本当の道ではない。「世界の根元の名前はこれである。」と明確に言えるような名前は、世界の根元の、恒常なる、本当の名前ではない。(※24)
物の姿形が整っていないので、名前というものの付けようがない混沌状態が、天地の始まったところであり、物の姿形が整ったので、それぞれの物に、或(ある)いは天、或いは地というように、名前が付けられるようになった秩序ある状態が、万物を生み出した母親である。
それ故(ゆえ)に人は、常に際限のない欲望を持たずに心が静まっていると、世界の不思議で計り知れない姿を観(み)るし、常に際限のない欲望を持ち心が騒(ざわ)ついていると、世界の末端、すなわち、表面上の有様を観ることになる。
この混沌状態と、秩序ある状態、すなわち、天地の両者は、同じところから出てきたと言えるので、本質的には同じものであるが、その状態が異なるので、それぞれ「天地の始め」、「万物の母」というように名前が異なる。この同じところを玄、すなわち、暗くて奥深いものと言う。暗くて奥深い上にも暗くて奥深いもの、それが、全ての事物が出てくる不思議で計り知れない門、道である。
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※24. 老子の思想における、世界の根元であるところの形而上(けいじじょう)の概念である道は、
人間の五感では捉(とら)らえることの出来ない「無」のことを指します。そして、道という名
称もまた、『老子』の文章を作成した人物が仮につけた字(あざな)、すなわち、実名以外の名
となります。
道、すなわち、「無」は、何かから生まれた、欲も知恵も意図もなく、時間にも空間にも左右
されずに運動している、物理的な何かと言えます。
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第2章
天下皆(みな)美の美為(た)るを知る。斯(こ)れ悪のみ。皆善の善為るを知る。斯れ不善のみ。故に有無相生(うむあいしょう)じ、難易相成(なんいあいな)し、長短相較(かく)し、高下(こうげ)相傾き、音声相和し、前後相随(したが)う。是(ここ)を以(もっ)て聖人は、無為(むい)の事(こと)に処(お)り、不言(ふげん)の教えを行う。万物焉(ここ)に作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生ずるも而も有せず、為(な)すも而も恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。夫れ唯(ただ)居らず、是を以て去らず。
天下の人民は、皆んなが美しいと言っているものは本当に美しいものだと思っているが、実はそれは醜いものでしかない。皆んなが善いと言っているものは本当に善いものだと思っているが、実はそれは善くないものでしかない。すべての事物に対する評価は相対的なものであり、絶対的なものではないのだ。
それ故(ゆえ)に、有と無とはお互いを相手として生まれ、難しさと易(やさ)しさとはお互いを相手として成り立ち、長と短とはお互いを相手として差をつくり、高と低とはお互いを相手として傾きをつくり、音と声とはお互いを相手として調和をつくり、前と後ろとはお互いを相手として随(したが)うということをつくる。
このことを理由として聖人、すなわち、道(タオ)を体得した人物は、無為(むい)、すなわち、「道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と、際限のない欲望を捨てると共に、人民からそれらのものを取り除き、全ての事物を自然のまま、すなわち、自ずからそうであるままにしておいて、余分な手を加えないこと」を実践すると共に、不言(ふげん)の教え、すなわち、「人民に特に何も教えることなく、彼らを自然のままにしておくこと」を行う。万物が現れても、それをそのままにしておいて何も言わず、万物が生まれても、それを自分のものとして所有せず、何事かを成し遂げても、その成果を頼りとせず、成功しても、その功績に居すわらない。それは、当然のように居すわらない。このことを理由として、その功績は聖人から去ることがない。(※25)
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※25. 老子の思想においては、全ての事物は、人間が余分な手を加えず、自然のまま、すなわち、自
ずからそうであるままにしておけば、そのままに変化して完成します。聖人の成果・成功とはそ
のようにして成し遂げられます。
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第3章
賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざらしむ。得難(えがた)きの貨を貴(たっと)ばざれば、民をして盗(とう)を為(な)さざらしむ。欲す可(べ)きを見(しめ)さざれば、心をして乱れざらしむ。是(ここ)を以(もっ)て聖人の治は、其(そ)の心を虚(むな)しくして、其の腹を実たし、其の志(こころざ)しを弱くして、其の骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫(か)の知者をして敢(あ)えて為さざらしむるなり。無為(むい)を為せば、則(すなわ)ち治らざる無し。
為政者(いせいしゃ)が、自然の摂理、すなわち、「人の善悪を超えたところの、『世界が自ずからそうであること』における法則」を弁えていない利口ぶった知者を尊重しなければ、人民同士を、上辺だけの才知において争わせることはなくなる。為政者が、得ることが難しい宝物を大切にしなければ、人民に盗みを働かせることはなくなる。為政者が人民に、その欲望を刺激するものを見せなければ、人民の心が乱れることはなくなる。
このことを理由として聖人の政治は、人民の心を無欲にしながらも、しかしてその食事の方は十分に取らせ、人民の余分な志(こころざ)しを弱めながらも、しかしてその身体の方は丈夫にする。常に人民を、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と際限のない欲望がない状態へと導き、自然の摂理を弁えていない利口ぶった知者にはあえて何も政治の仕事をさせない。
君主が無為(むい)を実践し、人民を本来の姿へと導けば、人民は、自然のままに変化して完成するので、天下国家が治らないことはないのだ。
第4章
道は冲(ちゅう)にして而(しこう)して之(これ)を用うれば、或(ある)いは盈(み)たず。淵兮(えんけい)として万物の宗(そう)に似たり。其(そ)の鋭(えい)を挫(くじ)き、其の紛(ふん)を解き、其の光(こう)を和(やわ)らげ、其の塵(じん)に同じくす。湛兮(たんけい)として或いは存するに似たり。吾(わ)れ誰の子なるかを知らず。帝(てい)の先(せん)に象(に)たり。
道(タオ)は空っぽの容器のようなものであるが、それを使用したとすると、その働きは無限であって、どれだけ物を入れても一杯になることがない。深くひっそりとしていて万物の本源に見える。
それは、欲も知恵も意図も持たず、唯(ただ)己の運動法則に従って変化し続けるだけの「無」であるが故(ゆえ)に、人間の(道に対する理解を伴わない)浅はかな知恵の鋭さを挫(くじ)き、人間の浅はかな知恵の縺(もつ)れを解き、人間の浅はかな知恵の威勢を和らげ、人間の浅はかな知恵の塵(ちり)であるところの「愚鈍すなわち素朴」と一つになる。
深くたたえられた水のようであり、何かが存在しているように思える。私は、それが誰の子であるのか知らない(※26)。天帝(てんてい)、すなわち、宇宙の主宰神・造物主よりも前に存在していた、その祖先というべきものである。
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※26. 道もまた、何物かから生まれてきたものであると考えられていたようです。
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第5章
天地は仁(じん)ならず、万物を以(もっ)て芻狗(すうく)と為す。聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す。天地の間(かん)は、其(そ)れ猶(な)お槖籥(たくやく)のごとき乎(か)。虚(むな)しくして屈(つ)きず、動きて愈々(いよいよ)出(い)ず。多言(たげん)は数(しば)しば窮(きゅう)す、中(ちゅう)を守るに如(し)かず。
天地に仁(じん)、すなわち、思いやりはない、万物を自然のままにしておいて余分な手を加えず、その取り扱い方は、まるで藁人形(わらにんぎょう)に対するようだ。聖人にも仁はない、人民を自然のままにしておいて余分な手を加えず、その取り扱い方は、まるで藁人形に対するようだ。
天地の間は、巨大な鞴(ふいご)(※27)のようなものであろうか。空っぽであるのに消耗することなく、動けば動くほど益々(ますます)万物を生み出す。
自然の摂理を弁えていない利口ぶった知者のように口数が多いと、論理の辻褄(つじつま)が合わなくなってたびたび返答に行き詰まることになる。天地の間のように、空っぽであるのが良い。(※28)
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※27. 金属の精錬等に用いる、人力で動かす送風器のことです。
※28. 老子の思想においては、人間は、道(タオ)に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と際限
のない欲望を捨てて天地の間のように空っぽとなった時、道とその運動法則を知って無為とな
り、全ての事物を、自然のままにしておいて完成させるようです。
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第6章
谷神(こくしん)は死せず、是(こ)れを玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、是れを天地の根(こん)と謂う。綿綿(めんめん)として存するが若(ごと)く、之(これ)を用いて勤(つか)れず。
谷間の虚空に宿る神は死ぬことがない。これを、暗くて奥深い牝(めす)という。この牝の性器を天地の根元という。長く続いて絶えることなく存在しているようであり、どれだけ働いても疲労しない。(※29)
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※29. 谷神・玄牝は、道(タオ)の隠喩(いんゆ)となります。
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第7章
天は長く地は久し。天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以(ゆえん)の者は、其(そ)の自ら生ぜざるを以(もっ)てなり。故に能く長生(ちょうせい)す。是(ここ)を以て聖人は、其の身を後にして而(しか)も身先(さき)んじ、その身を外にして而も身存す。其の私(わたくし)無きを以てに非(あら)ずや。故に能く其の私を成す。
天は長く生き、地もまた久しく生きる。天地がそのようである理由は、それらが、自(みずか)ら生きよう生きようとしないからだ。だから持って生まれた天寿(てんじゅ)のままに、長く生きることが出来るのだ。
このことを理由として聖人は、人々の後ろに下がるけれども、そのことによって人々よりも先まで生き、人々の外側にいるけれども、そのことによって安全に生存する。それは、聖人が無為(むい)を実践しているからではないだろうか。それだからこそ自身の生涯を全うすることが出来るのだ。
第8章
上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。水は善く万物を利して而(しか)も争わず。衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故(ゆえ)に道に畿(ちか)し。居(お)るには地を善しとし、心は淵(ふか)きを善しとし、与(くみ)するには仁(じん)なるを善しとし、言(げん)は信(しん)あるを善しとし、正(せい)は治るを善しとし、事は能(のう)あるを善しとし、動くには時(とき)なるを善しとす。夫れ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)め無し。
最上の善は水のようなものである。水は万物に利益をもたらして、しかも、それらと争わず、人々が不快に思う低い所にいる。それ故(ゆえ)に道(タオ)に近い存在と言える。
住むのには大地の上が善く、心は奥深いのが善く、仲間となるには仁者(じんしゃ)、すなわち、思いやりのある者が善く、言葉は真実であるのが善く、政治は治(おさま)るのが善く、仕事には才能があるのが善く、動くにはタイミングが合うのが善い。これらは全て自然の摂理と争わないことである。
道を体得した人物は当然のように何物とも争わない、それ故に何物からも咎(とが)められることがない。
第9章
持して之(これ)を盈(み)たすは、其の已(や)むに如(し)かず。揣(きた)えて之を鋭くするは、長く保つ可(べ)からず。金玉堂に満つるは、之を能(よ)く守ること莫(な)し。冨貴にして驕(おご)るは、自(みずか)ら其の咎(とが)を遺(のこ)す。功遂(と)げて身退くは、天の道なり。
手に器を持って、中を液体で目一杯に満たすのは、中身がこぼれてしまうからやめておいた方が良い。刃先を極限にまで鍛えて鋭くすると、刃先が欠けやすくなるから、その状態を長く保てない。黄金、宝玉(ほうぎょく)で家が一杯になったら、とてもそれをよく守りきれるものではない。多くの財産を持ち高い地位にある者が驕り高ぶると、自ら罪を作って罰を受けることになる。成功したら、その地位から退くのが自然の摂理である。
第10章
営(まよ)える魄(はく)を載(やす)んじ、一(いつ)を抱(いだ)いて、能(よ)く離るること無からんか。気を専(もっぱ)らにし柔(じゅう)を到して、能く嬰児(えいじ)ならんか。玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(し)無からんか。民を愛し国を治むるに、能く知無からんか。天門開コウ(変換出来ず。門部(もんがまえ)+盍)して、能く雌(し)為(な)らんか。明白に四達(したつ)して、能く為すこと無からんか。之(これ)を生じ之を畜(やしな)い、生ずるも而(しか)も有せず、為すも而も恃(たの)まず、長ずるも而も宰(さい)たらず。是(こ)れを玄徳(げんとく)と謂(い)う。
迷える心を安らかにし、道(タオ)をしっかりと意識して、離れることがないように出来るだろうか。気(※30)に集中して心身を柔軟にし、精気が極まった赤ん坊の様でいられるだろうか。暗くて奥深い心の鏡を洗って汚れを除き、過ちがないように出来るだろうか。人民を愛し国を治めるに当たって、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識を用いずにいられるだろうか。自然の活動、すなわち、「世界が自ずからそうであること」に対して、雌(めす)のように従順でいられるだろうか。自然の摂理を知り尽くし、無為(むい)を実践できるだろうか。
道は、万物を生み出し、万物を養い、万物を生み出しても、それを自分のものとして所有せず、何事かを成し遂げても、その成果を頼りとせず、万物を成長させても、それを支配しない。これを玄徳、すなわち、暗くて奥深い能力というのだ。
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※30. 万物が生成する根元の力である元気、身体に生まれながらに備わっている根元的な活動力のこ
とです。
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第11章
三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共(とも)にす。其(そ)の無に当たりて、車の用有り。埴(しょく)を埏(こ)ねて以(もっ)て器(うつわ)を為(つく)る。其の無に当たりて、器の用有り。戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以て室(しつ)を為る。其の無に当たりて、室の用有り。故に有の以て利を為(な)すは、無の以て用を為せばなり。
車輪は、三十本の輻(や)が中心の轂(こしき)に集まってできているが、轂の中央に穴が空いているからこそ、すなわち、轂の中央が空っぽだからこそ、そこに車軸を通して、それを車輪として使用することが出来るのだ。粘土を捏(こ)ねて器を作るのだが、器の中が空っぽだからこそ、それを器として使用することが出来るのだ。戸や窓の穴をあけて部屋を作るのだが、部屋の中が空っぽだからこそ、それを部屋として使用することが出来るのだ。
この様に、姿形のあるものである有を利用できるのは、姿形のないものである無が働いているからなのだ。(※31)
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※31. 実際の無には空間もありませんので、この例え話は完全ではないように思われます。
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第12章
五色(ごしょく)は人の目をして盲(もう)ならしめる。五音(ごおん)は人の耳をして聾(ろう)ならしめる。五味は人の口をして爽(たが)わしめる。馳騁田猟(ちていでんりょう)は、人の心をして狂(きょう)を発せしめる。得難(えがた)きの貨は、人の行いをして妨げしめる。是(ここ)を以(もっ)て聖人は、腹を為(な)して目を為さず。故(ゆえ)に彼れを去(す)てて此(これ)を取る。
美しい色彩は、人を夢中にさせてその心を乱れさせる。魅力的な音楽は、人を夢中にさせてその心を乱れさせる。美味しい食べ物は、人を夢中にさせてその心を乱れさせる。馬に乗っての狩猟は、人を夢中にさせてその心を狂わせる。得ることが難しい宝物は、人を夢中にさせてその行いを誤らせる。
この事を理由として聖人は、自身の健康長寿をこそ大切にして、五感や心の快楽は追求しない。それ故(ゆえ)に際限のない欲望を捨てて、少欲を取るのである。
第13章
寵辱(ちょうじょく)には驚くが若(ごと)し、大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身の若くす。何をか寵辱には驚くが若しと謂(い)う。寵を下(げ)と為(な)す。之(これ)を得ては驚くが若くし、之を失いては驚くが若くす。是を寵辱には、驚くが若くすと謂う。何ぞ大患を貴ぶこと身の若くすと謂う。吾(わ)れに大患有る所以(ゆえん)の者は、吾れの身有るが為(ため)なり。吾れの身を無にするに及びては、吾れに何の患(かん)や有らん。故(ゆえ)に身を以(もっ)てすること天下を為(おさ)むるよりも貴べば、若(すなわ)ち天下を寄(よ)す可(べ)し。身を以てすること天下を為むるよりも愛すれば、若ち天下を託す可し。
人々は、名誉を得ることと屈辱を受けることに常に怯(おび)えている。それは、大きな災難を自分の身体のように大切にしているのと同じである。
「名誉を得ることと屈辱を受けることに常に怯えている。」とはどういうことか。名誉はつまらないものだ。そうであるのに、それを得ては恐怖に震えあがり、それを失っては恐怖に震えあがる。このことを「名誉を得ることと屈辱を受けることに常に怯えている。」という。
「大きな災難を自分の身体のように大切にしている。」とはどういうことか。自分に大きな災難があるのは、自分に身体があるためである。自分に身体が無くなったら、自分に何の災難があるだろうか。
それ故(ゆえ)に、自分の身体のことを天下を治めることよりも大切にする人物にこそ、天下を預けることが出来るし、自分の身体のことを天下を治(おさ)めることよりも愛(いと)おしむ人物にこそ、天下を委(ゆだ)ねることが出来るのである。
第14章
之(これ)を視れども見えず、名づけて夷(い)と曰(い)う。之を聴けども聞こえず、名づけて希(き)と曰う。之を搏(とら)うれども得ず、名づけて微(び)と曰う。此の三つの者は、詰(きつ)を致す可(べ)からず、故に混じて一と為(な)る。其(そ)の上は噭(あきらか)かならず、其の下は昧(くら)からず、縄縄(じょうじょう)として名づく可からず、無物に復帰す。是れを無状(むじょう)の状(じょう)、無物の象(しょう)と謂(い)う。是(こ)れを惚恍(こつこう)と謂う。之(これ)を迎えて其の首(こうべ)を見ず。之に随って其の後(しりえ)を見ず。古(いにしえ)の道を執(と)りて、以(もっ)て今の有を御(ぎょ)す。能(よ)く古始(こし)を知る。是れを道紀(どうき)と謂う。
視(み)ても見えないので、平(たい)らでそこに何も無いものと名付ける。聴いても聞こえないので、微(かす)かなものと名付ける。手に取っても得られないので、細微(さいび)なものと名付ける。これら三つのものは無であるが故(ゆえ)に究(きわ)めきろうとしてはならない、それ故に、それらは混じり合って一つになっているとする。
その上の方は明るくなく、その下の方は暗くない。果てしなく存在し、なおかつ延々と活動していて名前がつけらず、結局は「何物も無い」という認識へと帰っていく。これを姿のない姿、物のない形という。これを微(かす)かでハッキリしないものという(※32)。正面から迎えてもその頭を見ることが出来ず、後ろに従ってもその背後を見ることが出来ない(※33)。
古(いにしえ)より存在する道(タオ)、すなわちを「無」を保って今ある世界を治める。良く、古に世界が始まったところである道を知る。これを道を実践するための要(かなめ)という。(※34)
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※32. 以上の文章は全て道のことを説明しています。道は「無」であるので、人間の五感では認識す
ることが出来ませんし、また、そこに上下・明暗というものもありません。しかし、そうである
が故に、道は時間や空間に制約されることなく、何時でもどこにでも存在し、なおかつ運動して
います。この文章の作者は、このような道のことを、無状之状・無物之象・惚恍と表現しまし
た。
※33. この文章は「道には時間が存在しない。」ということを表現しているのだと思われます。
※34. 老子の思想においては、万物の実体、すなわち、本体・正体・実質は、道、すなわち、「無」
であると考えられます。それ故に人は、道を意識しつつ空っぽとなり、無為(むい)、すなわ
ち、「道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と、際限のない欲望を捨て、全ての事物を、
自然のままにしておいて、余分な手を加えないこと」を実践した時にこそ、その本来の姿へ立ち
返ると共に、自然のままに変化して完成し、子孫を残しつつ安全に天寿を全うすることが出来ま
す。
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第15章
古(いにしえ)の善く士為(た)る者は、微妙玄通(びみょうげんつう)、深くして識(し)る可(べ)からず。夫(そ)れ唯(た)だ識る可からず。故(ゆえ)に強(し)いて之(こ)れが容(よう)を為(な)さん。予兮(よけい)として冬に川を渉(わた)るが若(ごと)く、猶兮(ゆうけい)として四隣(しりん)を畏(おそ)るるが若く、儼兮(げんけい)として其れ客の若く、渙兮(かんけい)として氷の将(まさ)に釈(と)けんとするが若く、敦兮(とんけい)として其れ撲(はく)の若く、曠兮(こうけい)として其れ谷の若く、混兮(こんけい)として其れ濁れるが若し。孰(たれ)か能(よ)く濁りて以(もっ)て之(これ)を静かにして徐(おもむ)ろに清ません。孰か能く安らかにして以って久しきを、之を動かして徐ろに生ぜん。此(こ)の道を保つ者は、盈(み)つるを欲せず。夫れ唯だ盈たず。故(ゆえ)に能く蔽(おお)いて新たに成さず。
古代の支配階級における善き人間は、微(かす)かで不思議で計り知れない道(タオ)に通じており、その理解があまりにも深いため、実際にはどのような人物であるのかが分からなかった。それは、そのことが当然であるかのように全く分からなかった。それ故(ゆえ)に、無理なことではあるが、その様子だけを述べてみることにしよう。
それは、ぐずぐずと躊躇(ためら)って真冬に冷たい川を渡るようであり、思い切りが悪くて四方の隣国を畏(おそ)れるようであり、厳(おごそ)かで客人のようであり、次々に変化して正(まさ)に氷が溶けるようであり、人情が厚くてまるで切り出したばかりの丸太のようであり、空しくて広い谷のようであり、混然としていて濁(にご)った水のようであった。
誰が、濁っている水を静かにしておいて、ゆっくりと澄ませられるだろうか。誰が、長い間静かにしていた事物を自然に動かして、ゆっくりと物事を生み出せるだろうか。
道を体得した者は、物事が満ち足りることを欲しない。それは、当然のように満ち足りさせようとしない。それ故(ゆえ)に、よくその心を静めて(際限のない欲望を制御して)、新たなこと、すなわち、余分なことを成し遂げない。
第16章
虚(きょ)を致すこと極(きわ)まり、静を守ること篤(あつ)し。万物並び作(おこ)るも、吾れは以(もっ)て其(その)の復(かえ)るを観(み)る。夫(そ)れ物の芸芸(うんうん)たる、各(おの)おの其の根(こん)に復帰す。根に帰るを静と曰(い)う、是(こ)れを命(めい)に復(かえ)ると謂(い)う。命に復るを常(じょう)と曰う。常を知るを明(めい)と曰う。常を知らざれば、妄作(もうさく)して凶なり。常を知れば容(よう)なり、容なれば乃(すなわ)ち公(こう)なり、公なれば乃ち王なり、王なれば乃ち天なり、天なれば乃ち道なり、道なれば乃ち久し。身を没(ぼっ)するまで殆(あや)うからず。
心を極限まで空しくし、完全に静める。すると私は、万物が生成しても、それらがその生まれて来たところである天地の間へと消えて行く、すなわち、帰って行くのを見る。万物は盛んに活動するけれども、最終的には寿命が尽きて、天地の間という根元へと帰って行く。
根元に帰ること(死ぬこと、滅びること)を「静まる」と言い、このことを「運命によって根元へと帰る」と言う。「運命によって根元へと帰る」ことを「常に一定である事」と言う。「常に一定である事」を知るのを「明らかな知恵」と言う。「常に一定である事」を知らないと、でたらめに物事を行って禍(わざわ)いを被(こうむ)る。
「常に一定である事」を知れば寛容になる。寛容であれば公平となる。公平であればそれは王である。王であればそれは自然、すなわち、自ずからそうであるままである。自然であればそれは道(タオ)である。道であればその寿命は長い。生涯、危険に遭(あ)うことはない。(※35)
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※35. 老子の思想においては、人間は、その心が完全に静まった時、第1章にあるように、世界の不
思議で計り知れない姿を観(み)ることが出来るようです。
そして、そのような境地に達した人物の認識においては、万物は常に天地の間より生まれ、復
(ふたた)びそこへと帰って行きます。
人はそのような、自然の大きな循環を知った時、本来の姿へと立ち返り、安全に天寿を全うす
ることが出来るようです。
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第17章
大上(たいじょう)は下(しも)之(これ)有ることを知る。其(そ)の次は親しんで而(しこう)うして之を誉(ほ)む。其の次は之を畏(おそ)る。其の次は之を侮(あなど)る。信足らざれば、信ぜられざること有り。悠兮(ゆうけい)として其れ言(げん)を貴(おも)くすれば、功成り事遂げて、百姓(ひゃくせい)は皆我は自然なりと謂(い)う。
道(タオ)を理解し、無為(むい)を実践している最上の君主の下では、人民は君主がいるということだけを知っている。その次の君主の下では、人民は君主に親しんでこれを誉(ほ)める。その次の君主の下では、人民は君主を畏(おそ)れる。その次の君主の下では、人民は君主を侮(あなど)る。政治に真(まこと)が足りないと、人民から信頼されなくなる。君主がゆったりとして発言を控(ひか)えれば、人民は、その本来の姿へ立ち返り、自然のままに変化して完成するので、政治は全て上手くいって、人民は皆「私は自然のままなのだ。」と言う。
第18章
大道廃(すた)れて、仁義(じんぎ)有り。智慧出(い)でて、大偽(たいぎ)有り。六親和せずして、孝慈(こうじ)有り。国家昏乱(こんらん)して、忠臣有り。
大いなる道(タオ)、すなわち、「無」が忘れられてから、仁(じん)や義(ぎ)、すなわち、思いやりや正義の徳目が説かれだした。道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識というものが現れてから、自然の摂理から外れた人為が行われるようになった。親子・兄弟・夫婦の和合が衰えてから、孝(こう)や慈(じ)、すなわち、親孝行や慈しみの道徳が説かれだした。国家が混乱してから、忠臣(ちゅうしん)、すなわち、忠義(ちゅうぎ)の家臣というものが現れだした。
第19章
聖を絶ち智を棄(す)つれば、民(たみ)の利百倍せん。仁(じん)を絶ち義(ぎ)を棄つれば、民は孝慈(こうじ)に復せん。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有ること無からん。此(こ)の三つの者は、以(もっ)て文足(ぶんた)らずと為(な)す。故に属する所有(ところあ)らしめん。素(そ)を見わし樸(ぼく)を抱き、私を少なくし欲を寡(すくな)くす。
上辺だけの利口さというものを滅ぼし、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識を捨てれば、人民は、そうの元よりあった、自然のままの姿へと帰り、その利益は百倍になるだろう。賢者と言われている人物の説く仁(じん)、すなわち、思いやりを滅ぼし、義(ぎ)、すなわち、正義を捨てれば、人民は、本来通りの、親孝行と慈愛ある姿へと帰るだろう。贅沢品(ぜいたくひん)等を作り出す巧みな技術を滅ぼし、利益を得ようとする心、すなわち、際限のない欲望を捨てれば、盗賊はいなくなるだろう。
この三点だけではまだ言葉が足りない、それ故(ゆえ)に続きの言葉を言おう、地のままの姿を現し道(タオ)をしっかりと意識せよ、利己心を少なくし欲望を弱くせよ。
第20章
学を絶てば憂い無し。唯(い)と阿(あ)と、相去ること幾何(いくばく)ぞ。善と悪と、相去ること何若(いかん)。人の畏(おそ)るる所は、畏れざる可(べ)からず。荒兮(こうけい)として其(そ)れ未(いま)だ央(つ)きざる哉(かな)。衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春、台(うてな)に登るが如し。我は独り泊兮(こうけい)として其れ未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。るい(変換できず。にんべんに纍)るいとして帰する所無きが若(ごと)し。衆人は皆余り有りて、而(しこう)して我独り遺(うしな)えるが若し。我は愚人の心なる哉、沌沌兮(とんとんけい)たり。俗人は昭昭(しょうしょう)たり、我は独り昏昏(こんこん)たり。俗人は察察(さつさつ)たり、我は独り悶悶(もんもん)たり。澹兮(たんけい)として其れ海の若く、飂兮(りゅうけい)として止まる所無きが若し。衆人は皆以(もち)うる有り、而うして我は独り頑(がん)にして鄙(ひ)に似たり。我は独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。
道(タオ)に対する理解を伴わない、余計な学問を学ぶことを断てば憂(うれ)いはなくなる。「ハイ」と「ああ」の返事にどれだけの違いがあるというのか。善と悪にどれだけの開きがあるというのか。人が畏(おそ)れるところは、こちらも畏れないわけにはいかないが、この、道から遠い状態、すなわち、人がその本来の姿から遠い状態は、未(いま)だに終わらないでいる。
人々は楽しそうで、まるで立派なご馳走を振舞われているかのようであり、春に高殿(たかどの)へ登って景色を眺めているかのようである。私は独り静まりかえって何事も起こる気配がなく、未だに笑わない赤子のようである。疲れ果てて元気がない、帰る所のない者のようである。
人々は皆んな余裕があるが、私は独りそれを失ってしまったかのようだ。私は愚人の心そのものだ、混沌としている。
世間の人々は光り輝いているが、私は独り薄暗い。世間の人々はハッキリしているが、私は独りボンヤリしている。
ゆっくりと揺れ動く様は海のようであり、高いところを吹く風のように止まることがない。
人々は皆んな仕事ができる、しかし私は独り融通(ゆうずう)がきかない田舎者のようだ。私は独り人と異なって、自分を養ってくれている母、すなわち、道を大切にしている。
第21章
孔徳(こうとく)の容(よう)は、惟(た)だ道に是(こ)れ従う。道の物為(た)る、惟(こ)れ恍(こう)惟れ惚(こつ)。惚たり恍たり、其(そ)の中に象(しょう)有り。恍たり惚たり、其の中に物有り。窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中に精(せい)有り。其の精甚(はなは)だ真(しん)なり。其の中に信(しん)有り。古(いにしえ)より今に及ぶまで、其の名は去らず、以(もっ)て衆甫(しゅうほ)を閲(す)ぶ。吾(われ)何を以て衆甫の状(じょう)を知る哉(や)。此(こ)れを以てなり。
大いなる能力を持っている人物の立ち居振る舞いは、ただ、道(タオ)に従っているのみである。そのことは、世界の自然な変化、すなわち、世界の自ずからそうであるままの変化に従っているともいえる。
道というものは「無」であるが故(ゆえ)に微(かす)かでハッキリしない。ハッキリせず微かであるがその中に万物を形作るものがある。微かでハッキリしないがその中に全ての物がある。深くて暗いがその中に万物の本(もと)がある。その万物の本は完全に本物であり、その中に真実がある。
太古より現在に至るまで、道という字(あざな)を付けられたものが消え去ることはなく、それによって万物の始まりを見ることができる。私は何によって万物の始まりの状態を知るかというと、この道によってである。
第22章
曲(きょく)なれば則(すなわ)ち全(まった)し。枉(ま)がれば則ち直(なお)し。窪(くぼ)めば則ち盈(み)つ。敝(やぶ)るれば則ち新(あら)たなり。少なければ則ち得、多ければ則ち惑(まど)う。是(ここ)を以(もっ)て聖人は、一(いつ)を抱いて天下の式(しき)と為(な)る。自(みずか)ら見(あら)わさず、故(ゆえ)に明らかなり。自ら是(ぜ)とせず、故に彰(あら)わる。自ら伐(ほこ)らず、故に功有り。自ら矜(ほこ)らず、故に長(ひさ)し。夫(そ)れ惟(た)だ争わず。故に天下能(よ)く之(これ)と争うこと莫(な)し。古(いにしえ)の所謂(いわゆる)曲なれば則ち全し、とは、豈(あ)に虚言(きょげん)ならんや。誠に全くして之を帰す。
曲がりくねった木は、人の役に立たないからこそ、切り倒されることなくその天寿を全うすることが出来る。尺取虫(しゃくとりむし)は、身体を曲げるからこそ、その後身体を伸ばして前進することが出来る。窪地(くぼち)は、凹(へこ)んでいるからこそ水を満たすことが出来る。衣服は、破れるからこそ新調される。財産は、少ないからこそ人は懸命に働いて利益を得るし、多いからこそ悩みが生じる。
このことを理由として聖人は、道(タオ)をしっかりと意識して天下の模範(もはん)となる。自らを見せつけない、それ故(ゆえ)に人々に知られる。自らを正しいとしない、それ故にその正しさが表れる。自らの功績を誇らない、それ故にその功績を認められる。自らの才能を誇らない、それ故に長く活躍できる。
道を体得した人物は、当然のように何ものとも争わない。それ故に世間の人々は道を体得した人物と争うことが出来ない。昔の人が言った「曲がりくねった木は、人間の役に立たないからこそ、切り倒されることなくその天寿を全うすることが出来る。」という言葉は、どうして嘘だと言えるだろうか。真(まこと)に、繁栄したものは衰退し、柔弱なものは剛強なものに勝つ等の自然の摂理に法(のっと)ってこそ、天寿を全うした上で、自分自身を天地の間と言う根元へと帰すことが出来るのだ。
第23章
希言(きげん)は自然なり。故(ゆえ)に飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず、驟雨(しゅうう)は日を終えず。孰(たれ)か此(こ)れを為(な)す者ぞ、天地なり。天地すら尚(な)お久しきこと能(あた)わず、而(しか)るに況(いわん)や人に於(お)いてをや。故(ゆえ)に道に従事する者は道なる者は道に同じくし、徳なる者は徳に同じくし、失なる者は失に同じくする。道に同じくする者は、道も亦(ま)た之(これ)を得るを楽しみ、徳に同じくする者は、徳も亦た之を得るを楽しみ、失に同じくする者は、失も亦た之を得るを楽しむ。信足らざれば、信ぜられざること有り。
静かなのが、その実体が道(タオ)である自然界の有り様である。それ故に、騒がしい旋風(せんぷう)も朝の間中吹いているわけではないし、けたたましいにわか雨も一日中降っているわけではない。これらの現象を起こす者は誰だろうか、それは天地である。天地でさえ、それらの現象を長い間継続させることは出来ない。そうであるのに、どうして人に、人において旋風やにわか雨に匹敵(ひってき)するような騒々しい行為を、長い間継続させることが出来ようか。
それ故に、道に従う者は道に則(のっと)っているので道と同じようになり、徳、すなわち、道の能力に則っている者は徳と同じようになり、失(しつ)、すなわち、道を失った状態に則っている者は失と同じようになる。
道と同じようになっている者に対しては道の方もこの者を受け入れ、徳と同じようになっている者に対しては徳の方もこの者を受け入れ、失と同じようになっている者に対しては失の方もこの者を受け入れる。
為政者(いせいしゃ)に真(まこと)が足りないと、人民から信頼されない。
第24章
企(つまだ)つ者は立たず。跨(また)ぐ者は行かず。自(みずか)ら見(あら)わす者は明らかならず。自ら是(ぜ)とする者は彰(あら)われず。自ら伐(ほこ)る者は功無く。自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。其(そ)の道に在るや、余食贅行(よしょくぜいこう)と曰(い)う。物或(ある)いは之(これ)を悪(にく)む。故(ゆえ)に有道者は処(お)らず。
爪先立ちをしている者は、いつまでもそのままの姿勢で立っていられない。大股で歩く者は、長く歩くことが出来ない。自分を見せつける者は、著名になれない。自らを正しいとする者は、その正しさが表れない。自らの功績を誇る者は、その功績を認められない。自らの才能を誇る者は、長く活躍できない。自然の摂理においては、これらの行為は余分な食べ物、無駄な行いである。世間はこれらの行為を嫌う。それ故に、有道者、すなわち、道(タオ)を体得している人物は、そのような行為をしない。
第25章
物(もの)有り混成し、天地に先だちて生ず。寂兮(せつけい)たり廖兮(りょうけい)たり、独立して改めず、周行して而(しか)も殆(つか)れず、以(もっ)て天下の母と為(な)す可(べ)し。吾(われ)其(そ)の名を知らず。之(これ)に字(あざな)して道と曰(い)う。強(し)いて之が名を為して大と曰う。大なれば曰(ここ)に逝(い)く、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反(かえ)る。故(ゆえ)に道は大、天は大、地は大、王も亦た大なり。域中(いきちゅう)に四大有り、而(しこ)うして王は其の一(いつ)に居(お)る。人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。
全てが混じり合ったものがあって、天地よりも先に生まれた(※36)。それは、静かで何物もなく、独立して改まることなく、方々を巡(めぐ)って、すなわち、世界中に存在して疲れることなく、もって天下の母となすべきものである。
私はそれの名前を知らない。これに字(あざな)を付けて道(タオ)という。強いて実名を付けて大という。大ならばこの場所から行き進み、行き進めばこの場所から遠ざかり、遠ざかればまたこの場所に返ってくる(※37)。
道は大なるものであり、天は大なるものであり、地は大なるものであり、人の王もまた大なるものである。この世界には四つの大なるものが有り、人の王はその一つを占める(※38)。
人の活動は地勢(ちせい)に従って変化し、地上の状態は天候に従って変化し、天候は道に従って変化し、道は、自然のままに変化する。
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※36. ここでもまた第4章と同じく、道、すなわち、「無」は何かから生まれてきたものとされてい
ます。
※37. 道は「無」であるので、世界の果てにも存在すれば目の前のこの場所にもあります。この文章
はそのことを表現しているのではないかと思われます。
※38. 人の王が大であるということは、道や天や地がそうであるように、王の威光(いこう)が、世
界中に及んでいるということではないかと思われます。
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第26章
重きは軽きの根(ね)為(た)り、静かなるは躁(さわが)しきの君(きみ)為り。是(ここ)を以(もっ)て聖人は、終日行(ゆ)きて輜重(しちょう)を離れず。栄観(えいかん)有りと雖(いえど)も、燕処(えんしょ)して超然たり。奈何(いかん)ぞ万乗(ばんじょう)の主にして、而(しか)も身を以て天下より軽くせんや。軽ければ則(すなわ)ち本(もと)を失い、騒がしきければ則ち君を失う。
重いものは軽いものの根本である。静かなものは騒がしいものの君主である。
このことを理由として聖人は、一日中行軍しても輜重車(しちょうしゃ)(※39)を離れないし、繁栄した街があっても、関心を寄せる事なく安らかに超然としている。一万輌(いちまんりょう)の戦車を有する大国の君主が、天下よりも己の身体を軽々しく扱ってどうするのか。
軽率に行動していると道(タオ)に従うという人としての根本を失い、騒がしく行動していると君主の地位を失う。
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※39. 軍需品を輸送する車のことです。
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第27章
善く行くものは轍迹(てっせき)無し。善く言うものは瑕讁(かたく)無し。善く数うるものは籌策(ちゅうさく)無し。善く閉ずるものは関鍵(かんけん)なくして、而(しか)も開く可(べ)からず。善く結ぶものは縄約(じょうやく)無くして、而も解く可からず。是(ここ)を以(もっ)て聖人は、常に善く人を救う、故(ゆえ)に人を棄(す)つること無し。常に善く物(もの)を救う、故に物を棄つること無し。是を明(めい)を襲(つ)ぐと謂(い)う。故に善人は不善人の師なり。不善人は善人の資なり。其の師を貴(たっと)ばず、其の資を愛せざれば。智ありと雖(いえど)も大いに迷う。是れを要妙(ようみょう)と謂う。
道(タオ)、すなわち、「無」の変化には跡(あと)がない。道の言葉、すなわち、無言には失言がない。道の計算、すなわち、計算しないことには計算道具がない。道が閉じたものは、閂(かんぬき)や鍵は付いていないけれども開くことが出来ない。道が結んだものは、縄を使っているわけではないけれども解くことが出来ない。道の働きは実に人知を超えており、全ての事物に及んでいる。
このことを理由として聖人は、全ての人民から、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と、際限のない欲望を取り除き、彼らを、本来の姿である、自然のままの状態へと導く、それ故(ゆえ)に捨てられる人はいない。万物を、自然のままにしておく、それ故に捨てられる物はない。このことを、明らかな知恵に従うという。
それ故に、善人は不善人の模範である。不善人は善人の反面教師である。自分の模範を貴(たっと)ばず、自分の反面教師を大切にしなければ、頭の良い者でも処世(しょせい)において大いに迷うことになる。これを要妙、すなわち、不思議で計り知れない要点という。
第28章
其(そ)の雄(ゆう)を知りて、其の雌(し)を守れば、天下の谿(けい)と為(な)る。天下の谿と為れば、常(つね)の徳は離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。其の白を知りて、其の黒を守れば、天下の式(しき)と為る。天下の式と為れば、常の徳は忒(たが)わず、無極に復帰す。其の栄を知りて、其の辱(じょく)を守れば、天下の谷と為る。天下の谷と為れば、常の徳は乃(すなわ)ち足り、樸(ぼく)に復帰す。樸散ずれば則(すなわ)ち器となる。聖人之(これ)を用うれば、則ち官の長と為す。故(ゆえ)に大制(たいせい)は割(さ)かず。
剛強な在り方をよく知った上で柔弱(にゅうじゃく)な在り方を守れば天下の渓谷となる。低い所に位置する渓谷のように謙(へりくだ)れば徳、すなわち、道(タオ)の能力が身につき、赤ん坊のように「精気」と「陰陽の気の調和」が極まった状態へと帰る。
人間の利口さをよく知った上で愚鈍なあり方、すなわち、素朴なあり方を守れば天下の模範(もはん)となる。天下の模範となれば徳と一致し、極まりのない道へと帰る。
栄誉ある立場をよく知った上で恥辱的な立場、すなわち、社会的に低い立場に身を置けば天下の谷となる。低いところに位置する谷のように謙れば徳は十分に備わり、手を加えていない丸太(※40)の如(ごと)き状態へと帰る。
実際の丸太がバラバラになると様々な器具が出来る。聖人は、道という丸太から自然に現れた、それぞれに様々な能力を持った人々という器具を役人の長(おさ)とする。それ故に、大きな切断とは切断しないこと、すなわち、全ての事物を、自然のままにしておいて、余分な手を加えないことなのだ。
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※40. 道、すなわち、「無」のことを表現しています。
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第29章
将(まさ)に天下を取らんと欲して之(これ)を為(な)すは、吾(わ)れ其(そ)の已(や)むを得ざるを見る。天下は神器なり。為す可(べ)からざるなり。為す者は之を敗(やぶ)り、執(と)る者は之を失う。故に物は、或(ある)いは行き或いは随い、或いは歔(きよ)し或いは吹き、或いは強く或いは羸(よわ)く、或いは挫(くじ)き或いは隳(こぼ)つ。是(ここ)を以(もっ)て聖人は、甚(じん)を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。
際限のない欲望に煽(あお)られ、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識によって天下を取ろうとしても、私はそれが途中で止まるのを見る。天下は、尊く侵すべからざるものである。それらによってはどうにもならない。それらによって行為する者は天下を壊し、天下に執われる者は天下を失う。
この世の人民は、ある者は人の先頭に立ちある者は人の後ろに従い、ある者は穏やかである者は激しく、ある者は強靭(きょうじん)である者は弱く、ある者は挫折しある者は堕落するというように様々である。それ故に、作為によっては治めきれない。
このことを理由として聖人は、道に適(かな)わない、度を越えた行為から離れ、贅沢(ぜいたく)から離れ、傲(おご)り高ぶりから離れる。
第30章
道を以(もっ)て人主を佐(たす)くる者は、兵を以て天下に強くせず。其の事還(かえ)るを好む。師の処(お)る所には、荊棘(けいきょく)焉(ここ)に生じ、大軍の後には、必ず凶年(きょうねん)有り。善くする者は果(しと)げて而(しこ)うして已(や)む。敢(あ)えて以て強きを取らず。果げて而(しか)も矜(ほこ)ること勿(なか)れ。果げて而も伐(ほこ)ること勿れ。果げて而も驕(おご)ること勿れ。果げて而も已(や)むことを得ざれ。果げて而も強きこと勿(なか)れ。物壮(ものさか)んなれば則(すなわ)ち老ゆ。是(こ)れを不道と謂(い)う。不道は早く已む。
道(タオ)に法(のっと)って君主を補佐する者は、兵力によって天下に対し強暴な行為をしない。その仕事は、政治によって、天下万民を、本来の姿である自然のままの状態へと帰すことにある。軍隊が留まっている所には荊棘(いばら)が生え、大きな戦争の後は必ず凶作の年となる。
道に従う者は、目的を果たしたら戦いを止める。それ以上の無用な戦いはしない。目的を果たしても功績を誇る事なく、目的を果たしても才能を誇る事なく、目的を果たしても奢(おご)る事なく、目的を果たしても止むを得ない事をしたまでであるとし、目的を果たしても強暴にならない。
物事は盛んになればその後は衰える。これを道から外れた事と言う。道から外れた事は早く終わる。
第31章
夫(そ)れ佳(よ)き兵は不祥(ふしょう)の器なり。物(もの)或(ある)いは之(これ)を悪(にく)む。故(ゆえ)に有道者は処(お)らず。君子(くんし)居(お)れば則(すなわ)ち左を貴(たっと)び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ。兵は不祥の器にして、君子の器に非(あら)ず。已(や)むを得ずして而(しこう)して之(これ)を用うれば、恬淡(てんたん)なるを上と為(な)す。勝ちて而(しか)も美とせず。而るに之を美とする者は、是(こ)れ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち以て志(こころざ)しを天下に得る可(べ)からず。吉事には左を尚(たっと)び、凶事には右を尚ぶ。偏(へん)将軍は左に居り、上将軍は右に居る。喪礼(そうれい)を以て之に処るを言うなり。人を殺すこと衆(おお)ければ、哀悲を以て之に泣き、戦いに勝つも喪礼を以て之に処る。
兵器というものは不吉な道具である。人々は或(ある)いはこれを憎む。それ故に、有道者、すなわち、道を体得した人物はそれを使用する立場にはいない。
君子は、普段は左を上席とするが、戦争の時は右を上席とする。
兵器は不吉な道具であって、君子が用いる道具ではない。止むを得ずにこれを用(もち)いる時は、その心が無欲・無執着であることを最上とする。勝っても立派なこととしない。これを立派なこととする者は、人を殺すことを楽しむ者である。人を殺すことを楽しむ者は、志(こころざ)しを天下に果たすことはできない。
吉事には左を上席とし、凶事には右を上席とする。副将軍は左に居り、上将軍は右に居る。この事は喪礼(そうれい)に従って戦に臨んでいることを示している。多くの人を殺すので、悲哀の心をもって泣き、戦いに勝っても、喪礼に従って対処する。
第32章
道は常(つね)に名(な)無し。樸(ぼく)は小なりと雖(いえど)も、天下能(よ)く臣とするもの莫(な)し。侯王(こうおう)若(も)し能く之(これ)を守らば、万物将(まさ)に自(おの)ずから賓(ひん)せんとす。天地和合して、以(もっ)て甘露(かんろ)を降(くだ)す。民は之に令すること莫くして而(しか)も自ずから均(ひと)し。始めて制して名有り。名も亦(ま)た既(すで)に有れば、夫(そ)れ亦た将に止(とど)まることを知らんとす。止まることを知るは殆(あや)うからざる所以(ゆえん)なり。道の天下に在(あ)るを譬(たと)うれば、猶(な)お川谷(せんこく)の江海に於(お)けるがごとし。
道(タオ)という字(あざな)を付けたものには、常に実名がない。丸太(※41)は小さいけれども(※42)、天下にこれを臣下とする者はいない。
もし、君主がこの道をよく守れば、万民は自ずからその人物に従うであろう。天地は和合して甘露(かんろ)(※43)を降らし、人民は命令せずとも自ずと整うであろう。
道が切り分けられると、すなわち、道が変化すると名前を持つ様々な物、すなわち、万物が現れる。そうなったからには、それらに対する際限のない欲望を止めることを知るべきである。際限のない欲望を止めることを知れば危険な目に遭うことはない。
道が天下にある有り様は、川が海に流れ込むようなものである。全ての事物は、終(つい)には道へと復帰(ふっき)する。
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※41. 道、すなわち、「無」のことを表現しています。
※42. 道は無欲であるが故(ゆえ)に小さいと表現しているのだと思われます。
※43. 中国の伝説で、王が仁政(じんせい)を行う時、天が降らせるという甘い液体のことです。
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第33章
人を知る者は智(ち)なり、自ら知る者は明(めい)なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富む。強(つと)めて行う者は志(こころざ)し有り。其(そ)の所を失わざる者は久し。死して而(しか)も亡(ほろ)びざる者は寿(いのちなが)し。
人を知る者には知恵がある、自分を知る者には一般的な知恵を超えた明らかな知恵がある。人に勝つ者には力がある、自分に勝つ者には真の強さがある。満足することを知っている者は何事も倹約するので富裕になる。努力する者には志(こころざ)しがある。自分に適した場所にいる者、すなわち、自分に適した仕事に就いている者は仕事が長続きする。「人は、延々と活動する道(タオ)が一時(いっとき)人間の姿形をとっただけのものであり、死して後も道としては存在し続ける。」ということを知っている者、すなわち、死んでも亡びない者は、寿命が長い。
第34章
大道は汎兮(はんけい)たり其れ左右す可(べ)し。万物之(これ)を恃(たの)みて而(しか)も生ずるも而(しか)も辞(ことば)せず。功成るも名を有せず。万物を衣養(いよう)するも而も主(しゅ)と為(な)らず。常に無欲なれば小と名づく可し。万物焉(これ)に帰するも、而も主と為らず。名づけて大と為す可し。其(そ)の終(つい)に自(みずか)ら大と為さざるを以て、故(ゆえ)に能(よ)く其の大を為す。
大いなる道(タオ)は水に浮んでいる物のようであり、左へ右へと遍(あまね)く行き渡る。万物は道を頼りとして生まれるが、道は、万物は、自ずからそうであるままに変化して完成するので、それらをそのままにしておいて何も言わない。何事かを成し遂げても、名誉を得ようとしない。万物を蔽(おお)うように養っても、その支配者とならない。道は、常に無欲であるという点においては小さいものと名付けられよう。万物はみな終(つい)には道へと帰っていくが道はその支配者とならない。道は、その点においては大いなるものと名付けられよう。
道は自らを大いなるものとしないからこそ、大いなる働きが出来るのである。
第35章
大象(たいしょう)を執(と)れば天下往く。往きて而(しか)も害あらず、安(あん)、平(へい)、大(たい)なり。楽(がく)と餌(じ)とは過客(かかく)止(とど)まる。道の口より出(い)ずるは、淡乎(たんこ)として其(そ)れ味無し。之(これ)を視(み)るも見るに足らず、之を聴くも聞くに足らず。之を用うれば既(つく)す可(べから)ず。
大いなる象(かたち)には形がないが、そのようなものである道(タオ)を保てば天下を行き進むことが出来る。行き進んでしかも危害を被(こうむ)ることがない、安らかで、穏やかで、ゆったりとしている。
音楽と食べ物には旅人も立ち止まる。しかし、道を言葉にしてみても(それは、人の五感では認識できない「無」であるが故に)淡白(たんぱく)で何の味わいもない。視(み)ても十分に見えず、聴(き)いても十分に聞こえない。だが、この道の働きは尽きることがないのだ。
第36章
将(まさ)に之(これ)を歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)く之を張る。将に之を弱めんと欲すれば、必ず固く之を強くす。将に之を廃せんと欲すれば、必ず固く之を興(おこ)す。将に之を奪わんと欲すれば、必ず固く之を与う。是(こ)れを微明(びめい)と謂(い)う。柔弱(にゅうじゃく)は剛強に勝つ。魚は淵(ふち)を脱す可(べ)からず。国の利器は、以(もっ)て人に示す可からず。
何かを縮めたければ、必ずしばらくそれを張る。何かを弱めたければ、必ずしばらくそれを強める。何かを廃(すた)れさせたければ、必ずしばらくそれを栄えさせる。何かから奪いたければ、必ずしばらくそれに与える。
これを分かり難(にく)い智恵と言う。柔弱(にゅうじゃく)なもの、すなわち、分かり難い知恵は、剛強なもの、すなわち、強大な武力・権力に勝つ。
魚は、鳥等に狙われて危険だから淵から脱け出してはならない。国家の利益となる計略、すなわち、分かり難い知恵は、それに対する対策を講じられてしまうから誰にも漏らしてはならない。
第37章
道は常に無為(むい)にして而(しか)も為(な)さざること無し。侯王(こうおう)若(も)し能(よ)く之(これ)を守らば、万物は将(まさ)に自(おのずか)ら化せんとす。化して而も作(おこ)らんと欲すれば、吾(われ)将に之を鎮(しず)むるに無名の樸(ぼく)を以(もっ)てせんとす。無名の樸は、夫(そ)れ亦(ま)た将に無欲ならんとす。欲あらずして以て静かならば、天下将に自ら定まらんとす。
道(タオ)は、常に欲も意図も知恵もなく、ただ無為(むい)の状態にあるが、しかして、全ての事物を完成させている(※44)。君主がもしこの道をよく守ったならば、万物は、自然のままに変化しようとする。そのように変化しながらも人民が余計な何事かを行おうと望むならば、私はこれを鎮(しず)めるのに実名の無い丸太(※45)を用いようとする。実名の無い丸太は、人民の際限のない欲望を無くそうとする。際限のない欲望が無いが故(ゆえ)に人民の心が静かならば、天下は、自然に定まっていく。
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※44. 老子の思想においては、世界はひとつの物理的存在である道、すなわち、「無」が変化した姿
であり、その本質は道そのものであると考えられます。それ故(ゆえ)に、全ての事物は、人が
余分な手を加えなければ、道の運動法則と働きに法(のっと)って、自然のままに変化して完成
します。この文章の作者はこのことを「道は常に無為にして而も為さざること無し」と表現しま
した。
※45. 道のことを表現しています。
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第38章
上徳は徳とせず、是(ここ)を以(もっ)て徳有り。下徳は徳を失わず、是を以て徳無し。上徳は無為(むい)にして而(しか)も以て為(な)す無し。下徳は之(これ)を為して而も以て為す有り。上仁(じょうじん)は之を為して而も以て為す無し。上義は之を為して而も以て為す有り。上礼は之を為して而(しこう)して之に応ずる莫(な)ければ、則(すなわ)ち臂(ひじ)を攘(かか)げて而して之をひ(変換できず。てへんに乃)く。故(ゆえ)に道を失て而る後(のち)に徳あり、徳を失て而る後に仁あり、仁を失て而る後に義あり、義を失て而る後に礼あり。夫(そ)れ礼は、忠信の薄きにして、而して乱の首(はじ)めなり。前識は、道の華(はな)にして、而して愚の始めなり。是を以て大丈夫(だいじょうぶ)は、其(そ)の厚きに処(お)りて其の薄きに居(お)らず、其の実(じつ)に処りて其の華(か)に居らず。故(ゆえ)に彼(か)れを去(す)てて此(こ)れを取る。
上徳(じょうとく)、すなわち、高い徳、すなわち、高い能力の持ち主は、徳を意識しない、それ故(ゆえ)に徳が有ると言える。下徳(かとく)、すなわち、低い徳、すなわち、低い能力の持ち主は、徳を失うまいとしている、それ故に、徳が無いと言える。
上徳の持ち主は、道(タオ)が無為(むい)であるのと同じように、全ての事物をそのままにしておいて、しかも、それらに対して余計な手を加えない。下徳の持ち主は、全ての事物を道に従わせようとし、しかも、それらに対して余分な手を加える。
上仁(じょうじん)、すなわち、高い思いやりの持ち主は、仁を実践するが、しかし、全ての事物に対して余分な手を加えない。上義(じょうぎ)、すなわち、高い正義の持ち主は、義を実践し、しかも、全ての事物に対して余分な手を加える。
上礼(じょうれい)、すなわち、高い礼儀の持ち主は、礼を実践し、しかも相手がそれに応えないと怒って相手に強引に礼を行わせようとする。
それ故に、道が失われた後に徳が説かれ出し、徳が失われた後に仁が説かれ出し、仁が失われた後に義が説かれ出し、義が失われた後に礼が説かれ出したのである。
この礼というものは、誠意の薄いものにして混乱の始まりである。また、先々のことを知る能力は道の無駄花(むだばな)(※46)にして愚かさの始まりである。
これらのことを理由として立派な男子は、厚い誠意を持って薄い誠意を持たず、道を知る能力を持って先々のことを知る能力を持たない。それ故に、作為を捨てて無為を取るのである。
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※46. 咲いても実を結ばない花のことです。
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第39章
昔の一(いつ)を得る者は、天は一を得て以(もっ)て清く、地は一を得て以て寧(やす)く、神は一を得て以て霊に、谷は一を得て以て盈(み)ち、万物は一を得て以て生じ、侯王(こうおう)は一を得て以て天下の貞(てい)と為(な)る。其(そ)れ之(これ)を致すは一なり。天は以て清きこと無ければ、将(は)た恐らくは裂けん。地は以て寧きこと無ければ、将た恐らくは発(くず)れん。神は以て霊なること無ければ、将た恐らくは歇(や)まん。谷は以て盈(み)つること無ければ、将た恐らくは竭(つ)きん。万物は以て生ずること無ければ、将た恐らくは滅びん。侯王は以て貴高(きこう)なること無ければ、将た恐らくはたお(変換できず。あしへんに厥)れん。故(もと)より貴(たっと)きは賤(いや)しきを以て本と為し、高きは下(ひく)きを以て基(もとい)と為す。是(ここ)を以て侯王は、自ら孤(こ)・寡(か)・不穀(ふこく)と謂(い)う。此(こ)れ賤しきを以て本と為すに非(あら)ずや。非ざる乎(か)。故(ゆえ)に数(しばしば)誉(ほ)むるを致せば、誉(ほま)れ無し。ろく(変換できず。たまへんに彔)ろくとして玉の如(ごと)く、珞珞(らくらく)として石の如きを欲せず。
昔の一(いつ)、すなわち、道(タオ)を得たこれらの者、すなわち、天・地・神・谷・万物・諸侯や王族は、それぞれが、天は道を得て清く、地は道を得て安らかに、神は道を得て霊妙に、谷は道を得て満ち、万物は道を得て生まれ、諸侯や王は道を得て天下の長(おさ)となった。これらのものをそのようにしているのは道である。
天は清らかでなければ恐らくは裂けてしまうであろう。地は安らかでなければ恐らくは崩れてしまうであろう。神は霊妙でなければ恐らくは消えてしまうであろう。谷は満ちることがなければ恐らくは渇(か)れてしまうであろう。万物は生まれることがなければ恐らくは滅びてしまうであろう。諸侯や王は高貴でなければ恐らくは倒れてしまうであろう。
元より、貴(たっと)いものは賤(いや)しいものを根本とし、高いものは低いものを基礎とする。このようであるから諸侯や王は、自らを孤児や、徳の少ない者や、不善な者と呼ぶのである。これは賤しいものを根本としているからではないだろうか。そうではないのか。それ故(ゆえ)に、しばしば誉められると誉れが無くなってしまう。美しい玉のようにも、また、その辺の石ころのようにもあろうとは望まない。そのような上辺の有り様ではなく、それらの実体である道を大切にするのだ。
第40章
反(かえ)る者は道の動なり。弱き者は道の用なり。天下の万物は有(ゆう)より生じ。有は無(む)より生ず。
反(かえ)る、すなわち、逆になるのが道(タオ)の運動である(※47)。弱いのが道の働きである(※48)。天下の万物は有るもの、すなわち、天地から生まれる。有るものは、根本的には、無いもの、すなわち、道から生まれる。
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※47. 一つの状態が極まると、それとは正反対の状態へと移行するのが、物理的存在である道、すな
わち、「無」の運動法則であり、それは、道が変化したものであると考えられるこの世界、すな
わち、全ての事物に共通します。
例えば、季節は、夏の暑さが極まると涼しい秋へと移行し、さらに秋が冬となってその寒さが
極まると、今度は暖かい春へと移行しますし、人は、柔弱(にゅうじゃく)な赤ん坊が成長して
剛強な大人となり、その剛強が極まると今度は老化して脆弱(ぜいじゃく)な老人となります。
※48. 道は「無」であるが故(ゆえ)に、これ以上弱いものはないというくらい弱いものです。しか
し、例えば水は、その一滴一滴はたいへん弱いものですが、それが膨大に集まって一定の方向へ
と運動した場合には大きな力を発揮します。これはひとつまみの土や、一握りの空気にも言える
ことです。老子の思想においては、この世界は道が変化した姿であると考えられ、その実体は道
そのものです。そして、道と、その本質が道であるこの世界は、その運動法則に法(のっと)っ
て、常に、計り知れないほど巨大に動いています。
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第41章
上士(じょうし)は道を聞けば、勤めて而(しこう)して之(これ)を行う。中士(ちゅうし)は道を聞けば、存(そん)するが若(ごと)く亡(な)きが若し。下士(かし)は道を聞けば、大いに之を笑う。笑わざれば以(もっ)て道と為(な)すに足らず。故(ゆえ)に建言(けんげん)に之有り。明道は昧(くら)きが若く、進道は退くが若く、夷道(いどう)は纇(らい)なるが若し。上徳は谷の若く、太白(たいはく)は辱(じょく)なるが若く、広徳は足らざるが若し。建徳は偸(おこた)るが若く、質真(しつしん)は渝(かわ)るが若し。大方は隅(かど)無し。大器は晩成す。大音は希声なり。大象(たいしょう)は形無し。道は隠れて名(な)無し。夫(そ)れ唯(た)だ道は善く貸し且(か)つ成す。
優れた人物は、道(タオ)を聞くと熱心に実践する。中程度の人物は、道を聞いても半信半疑である。下らない人物は、道を聞くと馬鹿にして笑う。下らない人物に笑われないようでは道とはいえない。それ故(ゆえ)に格言にこのようにある。
明らかな道はハッキリしないように見え、進んでいく道は退くように見え、平らな道は凸凹(でこぼこ)に見える。
高い徳、すなわち、高い能力は空(むな)しく思われ、たいへん白いものは汚れているように思われ、広い徳、すなわち、広大な能力は不足しているように思える。
伸びやかな徳、すなわち、伸びやかな能力は怠っているように思われ、その本質が真(まこと)のものは変質するように思われる。
どこまでも大きな四角には角がなく、とてつもなく大きな器は完成するのが遅く(※49)、限りなく大きな音は聞くことが出来ず、果てしなく大きな形には形がない。
道は「無」であるが故(ゆえ)に、人間の五感では捉(とら)えられず実名がない。道は当然のように万物に恵みを与え、なおかつそれらを完成させる(※50)。
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※49. 「大器晩成」という格言は古来より有名ですが、底本(ていほん)におけるこの箇所(かし
ょ)は、楚簡(そかん)『老子』においては「大器曼城(たいきまんじょう)」、帛書『老
子』乙本においては「大器免成(たいきめんせい)」となっています。これらの意味は、「と
てつもなく大きな器は永遠に完成しない。」というものであり、これがこの箇所(かしょ)の
本来の意義でした。
※50. その本質が道であると考えられる万物は、余分な手を加えることなくそのままにしておけ
ば、道の運動法則に法(のっと)って、自然のままに変化して完成します。
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第42章
道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰(いん)を負(お)いて而(しこう)して陽を抱き、冲気(ちゅうき)を以(もっ)て和を為(な)す。人の悪(にく)む所は、唯だ孤・寡(か)・不穀にして、而(しか)も王公は以て称と為す。故(ゆえ)に物は或(ある)いは之(これ)を損して而も益(ま)し、或いは之を益して而も損す。人の教うる所は、我も亦(ま)た之を教う。強梁(きょうりょう)なる者は其(そ)の死を得ず。吾(わ)れ将(まさ)に以て教えの父と為さんとす。
道(タオ)、すなわち、「無」は混沌(※51)を生み出す。混沌は天地(※52)を生み出す。天地は和の気(※53)を生み出す。和の気は万物を生み出す。万物は陰の気を背負い、陽の気を抱(いだ)いて、その二つの気が一方へ偏らないようにして調和を作り出す。
人が嫌うのは孤児、徳の少ない者、不善な者であるが、王公はこれを自称とする。このように、物事は、あるいは減ることによって増し、増すことによって減ることがある。
人が教える事は、私もまたそれを教えよう。強くて制しにくい者はまともな死に方をしない。私は、まさにこの事を教えの父としよう。
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※51. 読み下し文の一とは、一気(いっき)、すなわち、有、すなわち、混沌のことです。
※52. 読み下し文の二とは、陰陽(いんよう)の二気(にき)、すなわち、天地のことです。
※53. 読み下し文の三とは、沖気(ちゅうき)、すなわち、和の気のことです。
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第43章
天下の至柔(しじゅう)は、天下の至堅(しけん)を馳騁(ちてい)す。有る無きものは間(すきま)無きに入る。吾(わ)れ是(ここ)を以(もっ)て無為の益有ることを知る。不言(ふげん)の教え、無為(むい)の益は、天下之(これ)に及ぶこと希(まれ)なり。
天下で最も柔らかいものである水は、洪水の時などに天下で最も堅いものである岩石等を思うままに動かす。姿形のない道(タオ)、すなわち、「無」は、そうであるが故(ゆえ)に隙間のないところにも入っていく。
私はこのことから、剛強かつ意図的に物事を動かすのではなく、無為(むい)、すなわち、「道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と、際限のない欲望を捨てると共に、人民からそれらのものを取り除き、全ての事物を、自然のままにしておいて、余分な手を加えないこと」が有益であることを知った。不言(ふげん)の教え、すなわち、「人民に特に何も教えることなく、彼らを自然のままにしておくこと」と無為の利益は、天下でこれと肩を並べるものが滅多(めった)にない。
第44章
名(な)と身(み)と孰(いず)れか親しき。身と貨と孰れか多(まさ)れる。得ると亡(うしな)うと孰れか病(うれい)ある。是(こ)の故(ゆえ)に甚(はなは)だ愛(おし)めば必ず大いに費(つい)え、多く蔵すれば必ず厚く亡う。足るを知れば辱(はずか)しめられず、止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず。以(もっ)て長久なる可(べ)し。
名誉と身体とはどちらが大切か。身体と財貨とはどちらが勝るか。価値のあるものを得るのと失うのとではどちらが悲しいか。
このようなことであるから、金銭を甚(はなは)だ惜(お)しめば必ず大きく出費することとなり、財産を多く蓄えれば必ず大きく失うこととなって苦しむのだ。
満足することを知っていれば恥をかかずにすみ、抑止することを知っていれば危険な目に遭わない。これらのことによって長く生きることが出来るのだ。
第45章
大成(たいせい)は欠(か)くるが若(ごと)く、其の用は弊(へい)せず。大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若く、其の用は窮まらず。大直(たいちょく)は屈するが若く、大巧は拙(せつ)なるが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁(そう)は寒(かん)に勝ち、静は熱に勝つ。清静(せいせい)は天下の正為(な)り。
大いに成し遂げられたものは欠損があるように思われるが、その働きは尽きることがない。大いに満ち足りたものは空(むな)しいもののように思われるが、その働きは窮(きわ)まることがない。
大いに真っ直ぐなものは曲がっているように思われ、大いに精巧なものは劣っているように思われ、大いなる物言いは口下手(くちべた)のように思われる。
身体を動かせば寒さに勝ち、静かにしていれば暑さに勝つ。清らかで静かなもの、すなわち、無欲で無意図なものは天下の長(おさ)である。
第46章
天下に道有れば、走馬(そうば)を却(しりぞ)けて以(もっ)て糞(ふん)す。天下に道無ければ、戎馬(じゅうば)郊に生ず。禍(わざわい)は足るを知らざるより大なるは莫(な)く、咎(とが)は得るを欲するより大なるは莫し。故(ゆえ)に足るを知るの足るは、常に足る。
天下の政治が道(タオ)に合致している間は戦争がないので、軍馬は必要でなくなり、馬は耕作に使われる。天下の政治が道から離れている間は戦争が起こるので、軍馬となった馬は都市の郊外で仔馬(こうま)を生む。
満足を知らないことよりも大きな禍(わざわ)いはなく、ものを欲しがることよりも大きな咎(とが)はない。
それ故(ゆえ)に、満足を知る、ということの満足とは、常に満足していることなのである。
第47章
戸を出(い)でずして天下を知り、牖(まど)を窺(うかが)わずして天道(てんどう)を見る。其(そ)の出ずること弥(いよ)いよ遠ければ、其の知ること弥いよ少なし。是(ここ)を以(もっ)て聖人は、行かずして而(しか)も知り、見ずして而も名づけ、為(な)さずして而も成す。
家から出ないでいて世界のことを知り、窓から見ないでいて自然の摂理を見る。家から出て、遠くへ、さらに遠くへと知識を追い求めるほど、世界の実体である道(タオ)は「無」であるが故(ゆえ)に、真実を知ることはますます少なくなる。
このことを理由として聖人は、どこにも行かずして道のことを知り、何ものも見ずして世界の根元に道という字(あざな)を付け、全ての事物を自然のままにしておいて、それらを完成させる。(※54)
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※54. 老子の思想においては、この世界の全ての事物は、その本質が、自らの運動法則に法(のっ
と)って延々と活動を続ける道、すなわち、「無」であるが故に、人間が余分な手を加えさえし
なければ、自然のままに変化して完成します。
老子の思想の要点は、道を意識しつつ無為(むい)を実践することにより、全ての事物の自然
を妨害しないことにあります。
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第48章
学を為(な)せば日(ひ)に益(ま)し、道を為せば日に損ず。之(これ)を損して又(また)損じ、以(もっ)て無為に至る。無為(むい)にして而(しか)も為さざるは無し。天下を取るは、常に無事を以てす。其(そ)の事有るに及んでは、以て天下を取るに足らず。
学問を修める者は日々に知識が増え、道(タオ)、すなわち、「無」を修める者は日々に知識が減る。知識を減らして又減らし、そのことによって無為(むい)の境地に至る。その境地に至れば最早(もはや)、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と、際限のない欲望はなく、さらに、人民からもそれらの事を取り除き、全ての事物を自然のままにしておいて余分な手を加えないので、全ての事物は、自然のままに変化して完成する。このことを「無為によって作り上げられないことは何もない。」という。
天下を統一するというのは、常に、全ての人民の中で、生まれつき天下を統一するだけの徳、すなわち、能力を有する者が、自然のままに天下を統一するという方法、すなわち、無事、すなわち、無為によってなされる。道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識や、際限のない欲望に基づいて作為をしているようでは、天下を統一するには不十分だ。
第49章
聖人は常の心無く、百姓(ひゃくせい)の心を以(もっ)て心と為(な)す。善なる者は吾(われ)之(これ)を善とし、不善なる者も吾亦(ま)た之を善とす。善を徳(う)。信(しん)なる者は吾之を信とし、不信なる者も吾亦た之を信とす。信を徳。聖人の天下に在(あ)るは、歙歙(きゅうきゅう)として天下の為(ため)に其(そ)の心を渾(こん)にす。百姓は皆(みな)其の耳目(じもく)を注(つ)ぐも、聖人は皆之を孩(がい)にす。
聖人は自己の固定した考えを持たず、万民の心を自分の心としている。
私は善なる者はこれを善とし、不善なる者もまたこれを善とする。このことによって善を得る。
私は誠実なる者はこれを誠実とし、不誠実なるものもこれを誠実とする。このことによって誠実を得る。
聖人の天下における在り方は、身を竦(すく)めて天下のために自分の心を渾沌(こんとん)とした状態にする、すなわち、無為を実践するというものである。万民は皆、聖人へと耳目(じもく)を集中させるが、聖人はこれらの人々から、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と、際限のない欲望を取り除き、彼らを、本来の姿、すなわち、自然のままの状態にしてしまう。(※55)
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※55. これらのことは、全ての人民を自然のままの状態に導いて、いかなる人をも棄てないというこ
とです。
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第50章
生を出(い)でて死に入る。生の徒(と)は十に三有り。死の徒は十に三有り。人の生、動いて死地に之(ゆ)くも、亦た十に三有り。夫(そ)れ何の故(ゆえ)ぞ。其(そ)の生生の厚きを以(もっ)てなり。蓋(けだ)し聞く、善く生を摂(せっ)する者は、陸行(りっこう)して兕虎(じこ)に遇(あ)わず、軍に入りて甲兵を被(こうむ)らず。兕も其の角(つの)を投ずる所無く、虎も其の爪(つめ)を措(お)く所無く、兵も其の刃(やいば)を容(い)るる所無しと。夫れ何の故ぞ。其の死地無きを以てなり。
人は生まれて死んでいく。その三分の一は長命である。その三分の一は短命である。その三分の一は自ら動いて死地、すなわち、助かる見込みのない危険な場所へ行く。それは何を理由としてそうなるのか。その者の生きることに対する拘(こだわ)り、すなわち、生の喜び、楽しみ等への執着が厚過ぎるからである。
善く適度に生きる者は、陸路を行って犀(さい)や虎に出逢うこともなければ、軍に入って殺傷されることもない。犀もその角で突く所がなく、虎もその爪で掻く所がなく、兵もその刃で攻撃する所がない。それは何を理由としてそうなるのか。その者は、生きることに対する拘りが薄いので、決して死地には近づかないからである。
第51章
道之(これ)を生じ、徳之を畜(やしな)い、物之を形し、勢(いきお)い之を成す。是(ここ)を以(もっ)て万物は、道を尊(たっと)びて而(しこ)うして徳を貴(たっと)ばざるは莫(な)し。道の尊く、徳の貴きは、夫(そ)れ之に命ずる莫くして、常に自(おのずか)ら然(しか)り。故(ゆえ)に道之を生じ、徳之を畜(やしな)い、之を長じ之を育て、之を亭(さだ)め之を毒(やす)くし、之を養い之を覆(おお)う。生ずるも而(しか)も有せず。為(な)すも而も恃(た)まず。長ずるも而も宰(さい)たらず。是れを玄徳(げんとく)と謂(い)う。
道(タオ)が万物を生み出し、徳、すなわち、道の能力が万物を養い、物質が万物を形作り、自然の力、すなわち、自ずからそうであるままの力が万物を完成させる。
このことによって万物は、道を尊(とおと)び徳を貴(たっと)ぶ。道が尊く、徳が貴いのは、何者かから高い位に任命されたからではなく、常に自ずからそうなのである。
それ故(ゆえ)に、道が万物を生み出し、徳がそれを養い、それを成長させそれを育て、それを安定させそれを穏やかにし、それを保護しそれを庇(かば)う。万物を生み出しても、それを自分のものとして所有せず、何事かを成し遂げても、その成果を頼りとせず、万物を成長させても、それを支配しない。これを玄徳、すなわち、暗くて奥深い能力というのだ。
第52章
天下に始め有り、以(もっ)て天下の母と為(な)す。既(すで)に其(そ)の母を知りて、復(ま)た其の子を知る。既に其の子を知り、復(ま)た其の母を守れば、没するまで其れ殆(あや)うからず。其の兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、其の門を閉ずれば、終身勤(つか)れず。其の兌を開き、其の事を済(な)せば、終身救われず。小を見るを明(めい)と曰(い)い、柔を守るを強と曰う。其の光を用いて、其の明に復帰すれば、身の殃(わざわ)いを遺(のこ)すこと無し。是れを常(じょう)に習(よ)ると謂う。
世界には起源がある。それは世界の母と言えるものである。その母である道(タオ)を知れば、その子である万物のことを知ることが出来る。子である万物のことを知った上で、その母である道を守れば、寿命が尽きるまで安全である。
欲望を呼び起こす穴である各感覚器官、すなわち、耳目等に注意し、それらを通して生じる各感覚、すなわち、音色や色形等に執われなければ、生涯疲れることはない。欲望を呼び起こす穴である各感覚器官に注意を払わず、それらを通して生じる各感覚に執われて行動すれば、生涯救われることはない。
道(※56)を見ることを明らかな知恵と言い、道の柔弱な働き(※57)を守ることを真の強さと言う。自己の知力によって、明らかな知恵のある本来の状態へと復帰すれば、生涯、危険に遭(あ)うことはない。これを道に従うと言う。
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※56. 読み下し文の小とは、道、すなわち、「無」のことを表現しています。
※57. 読み下し文の柔とは、道の柔弱な働きのことです。
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第53章
我をして介然(かいぜん)として知有らしめば、大道を行くに、唯(た)だ施(ななめ)めなるを是(こ)れ畏(おそ)れん。大道は甚(はなは)だ夷(たい)らかなるも、而(しか)も民は径(こみち)を好む。朝(ちょう)は甚(はなは)だ除(きよ)められ、田は甚だ蕪(あ)れ、倉(くら)は甚だ虚(むな)しきに、文綵(ぶんさい)を服し、利剣を帯(お)び、飲食に厭(あ)き、財貨餘(あま)り有り。是れを盗夸(とうか)と謂(い)う。道に非(あら)ざる哉(かな)。
私が余計な知恵ではない本当の知恵を堅固に有しているならば、無為(むい)を実践するにあたり、唯(ただ)、間違った方向へ行ってしまうことのみを畏(おそ)れる。無為という平穏無事に天寿を全うする道は、大きく平らか、すなわち、たいへん歩きやすいのだが、天下の人民は際限のない欲望に駆られて、誤った道、すなわち、手に入れることが難しい宝物や、高い名誉等を得ることへの近道を好む。
朝廷は綺麗に掃き清められているのに、田は著(いちじる)しく荒れ、人民の米倉には一粒の米もない。それであるのに、高い地位にある者達は美しい衣服を身につけ、上等な剣を腰に帯び、たらふく飲み食いし、有り余るほどの財産を蓄えている。これを盗賊の蔓延(はびこ)りと言う。まさに道(タオ)から外れた行為である。
第54章
善く建てたるは抜けず。善く抱(いだ)けるは脱せず。子孫以(もっ)て祭祀(さいし)して輟(や)まず。之(これ)を身(み)に修むれば、其(そ)の徳は乃(すなわ)ち真なり。之を家に修むれば、其の徳は乃ち餘(あま)りあり。之を郷(きょう)に修むれば、其の徳は乃ち長(ひさ)し。之を国に修むれば、其の徳は乃ち豊かなり。之を天下に修むれば、其の徳は乃ち普(あまね)し。故(ゆえ)に身を以て身を観(み)、家を以て家を観、郷を以て郷を観、国を以て国を観、天下を以て天下を観る。吾(われ)何を以て天下の然(しか)るを知るや。此(こ)れを以てなり。
道(タオ)をしっかりと打ち立てれば道が抜けることはない。道をしっかりと抱けば道が脱け落ちることはない。そのようであれば子孫は存続し、その祖先に対する祭祀(さいし)は止むことがない。
道を自身において修得すると、その作用は真(まこと)である。道を家庭において修得すると、その作用は余りが出る。道を村里において修得すると、その作用は長く続く。道を国において修得すると、その作用は豊かである。道を天下において修得すると、その作用は普(あまね)く行き渡る。
それ故(ゆえ)に、自身における道の修得具合に注意して自身を観察し、家庭における道の修得具合に注意して家庭を観察し、村里における道の修得具合に注意して村里を観察し、国における道の修得具合に注意して国を観察し、天下における道の修得具合に注意して天下を観察する。私がどのようにして天下の現況を知るかというと、これらのこと、すなわち、各段階における道の修得具合を観察することによってである。
第55章
含徳(がんとく)の厚きは、赤子(せきし)に比す。蜂蠆虺蛇(ほうたいきだ)も螫(さ)さず、猛獣も拠(きょ)せず、攫鳥(かくちょう)も搏(う)たず。骨は弱く筋(きん)は柔らかくして而(しか)も握ること固(かた)し。未(いま)だ牝牡(ひんぼ)の合を知らずして而も全(ぜん)作(た)つは、精の至りなり。終日号(さけ)びて而も嗄(か)れざるは、和の至りなり。和を知るを常(じょう)と曰(い)い、常を知るを明(めい)と曰う。生(せい)を益(ま)すを祥(しょう)と曰い、心(こころ)気を使うを強(きょう)と曰う。物(もの)壮(さか)んなれば則(すなわ)ち老ゆ。之(これ)を不道と謂(い)う。不道は早く已(や)む。
徳、すなわち、道(タオ)の能力を厚く含んでいる人物は、赤ん坊に等しい。赤ん坊には、蜂や蠍(さそり)も刺さず、蝮(まむし)や蛇も噛まず、猛獣も掴(つか)みかからず、猛禽も撃ちかからない。骨は弱く筋肉は柔らかいのに、その拳は固く握りしめられている。まだ性交を知らないのに勃起(ぼっき)するのは、精気が極まっているからである。一日中泣き叫んでも声が嗄(か)れないのは、陰陽(いんよう)の気の調和が極まっているからである。
陰陽の気の調和を知ることを恒常のことを知るといい、恒常のことを知ることを明らかな知恵という。無理やりに寿命を延ばそうとするのを凶兆といい、心が何かに執われて無理矢理に気(※58)を使うのを強制という。
物事は盛んになれば必ず衰退に転じる。これを道ではない事という。道ではない事は早く終わる。
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※58. 気とは、万物が生成する根元の力である元気、身体に生まれながらに備わっている根元的な活
動力のことです。
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第56章
知る者は言わず、言う者は知らず。其(そ)の兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、其の門を閉じ、其の鋭を挫(くじ)き、其の分(ふん)を解き、其の光を和らげ、其の塵(ちり)に同じくす。是(こ)れを玄同(げんどう)と謂(い)う。故(ゆえ)に得て親しむ可(べ)からず、得て疎(うと)んず可からず。得て利する可からず、得て害す可からず。得て貴(たっと)ぶ可からず、得て賤(いや)しむ可からず。故に天下の貴きものと為(な)る。
道(タオ)は五感で捉(とら)えられない「無」であり、言葉で直接説明することは出来ないので、道(タオ)を知っている者は何も言わない。それ故(ゆえ)に、道のことをあれこれと直接説明する者は道のことを知ってはいない。
欲望を呼び起こす穴である各感覚器官、すなわち、耳目等に注意し、各感覚器官を通して生じる各感覚、すなわち、音色・色形等に執われないようにし、己の(道に対する理解を伴わない)浅はかな知恵の鋭さを挫(くじ)き、己の浅はかな知恵による分別を解き、己の浅はかな知恵の威勢を和らげ、己の浅はかな知恵の塵(ちり)であるところの「愚鈍、すなわち、素朴」と一つになる。これを玄同、すなわち、暗くて奥深いものである道との同一と言う。
このような人物に対しては、親しむことも出来ないし、疎(うと)んじることも出来ない。利益を与えることも出来ないし、害を加えることも出来ない。貴(たっと)ぶことも出来ないし、賤(いやし)むことも出来ない。それ故に、このような人物は天下の貴(たっと)き者となるのである。
第57章
正(せい)を以(もっ)て国を治め、奇を以て兵を用い、無事を以て天下を取る。吾(わ)れ何も以て其(そ)の然(しか)るを知るや。此(こ)れを以てなり。天下に忌諱(きき)多くして、而(しこ)うして民(たみ)弥(いよ)いよ貧しく、民に利器多くして、国家滋(ます)ます昏(くら)く、人に技巧(ぎこう)多くして、奇物滋ます起こり、法令滋ます彰(あら)われて、盗賊多く有り。故(ゆえ)に聖人は云(い)う、我無為(むい)にして而うして民自(おの)ずから化し、我静を好みて而うして民自ずから正しく、我無事にして而うして民自ずから富み、我無欲にして而うして民自ずから樸(はく)なりと。
真っ直ぐな心で国を治め、奇抜な方法で戦争を行い、無事、すなわち、無為(むい)によって天下を統一する事は、全て、人の作為の無い自然の摂理、すなわち、「人の善悪を超えたところの、『世界が自ずからそうであること』における法則」に法(のっと)ったことであり、天下の治る有り様であるが、私は何によってそれらがそうであるのかを知るかと言うと、これらの事によってである。
人が作為をして、天下に禁忌(きんき)、すなわち、タブーが多くなるほど人民はいよいよ貧しくなり、人が作為をして、人民が便利な道具を多く持つほど国家はますます乱れ、人が作為をして、人民の持つ技術が多くなるほど奇怪な品物がますます生まれ、人が作為をして、法令がますます明らかになるほど盗賊が多くなる。
それ故(ゆえ)に、聖人は言う。私が無為を実践していると人民は自ずから感化され、私が静かなことを好むと人民は自ずから正しくなり、私が無事(※59)でいると人民は自ずから豊かとなり、私が無欲でいると人民は自ずから素朴になると。
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※59. 文中でも述べましたが、無事は無為と同じ事です。
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第58章
其(そ)の政(まつりごと)悶悶(もんもん)たれば、其の民は淳淳(じゅんじゅん)たり。其の政察察(さつさつ)たれば、其の民は欠欠(けつけつ)たり。禍(わざわ)いは福の倚(よ)る所、福は禍いの伏す所、孰(たれ)か其の極(極)みを知らん。其れ正無きか。正は復(ま)た奇と為(な)り、善は復た妖と為る。人の迷うこと、其れ日(ひ)固(もと)より久し。是(ここ)を以て聖人は、方(ほう)なるも而(しか)も割(さ)かず、廉(れん)なるも而もやぶ(変換できず。りっとうに歳)らず、直なるも而も肆(し)ならず、光あるも而もかがや(変換できず。ひへんに翟)かず。
その政治がボンヤリしていれば、その人民は淳朴(じゅんぼく)(※60)となる。その政治がハッキリしていれば、その人民は狡猾(こうかつ)(※61)となる。
禍(わざわ)いには幸福が寄り添っており、幸福には禍いが潜んでいる。誰がその極限を知っているだろうか。
正しいことはないのか。正しいとされていた事が奇怪な事となり、善いとされていた事が妖しい事となる。人がこのことに迷っているのは、遥(はる)かな昔からだ。
これらのことを理由として聖人は、行いが正しくともそれによって人を攻撃せず(※62)、清らかで私欲がなくともそれによって人を責めず(※63)、実直であってもそれによって我儘(わがまま)とならず、知恵があってもそれを表に出さない。
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※60. 素直でかざらないということです。
※61. 悪賢いということです。
※62. 己の正義感から人を攻撃しないということです。
※63. 己の廉潔(れんけつ)さから人を責めないということです。
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第59章
人を治め天に事(つか)うるは嗇(しょく)に若(し)くは莫(な)し。夫(そ)れ唯だ嗇、是(こ)れを早く服すと謂(い)う。早く服する之(これ)を重ねて徳を積むと謂う。重ねて徳を積めば、則(すなわ)ち克(か)たざるは無し。克たざる無ければ、則ち其の極を知ること莫(な)し。其の極を知ること莫ければ、以(もっ)て国を有(たも)つ可(べ)し。国を有つの母は、以て長久なる可し。是れを、根を深くし柢(てい)を固くし、長生久視(ちょうせいきゅうし)の道なり、と謂う。
人民を治め自然の摂理に仕えるには、何事も控えめにするのに越したことはない。
それは当然のように控えめにする、これを早く道(タオ)に従うと言う。このことを、善い行いを積み重ねると言う。善い行いを積み重ねれば、勝てないものはない。勝てないものがなければ、善い行いの積み重ねの極限を知ることはない。善い行いの積み重ねの極限を知ることがなければ、国を保つことが出来る。国を保つための母と言うべきもの、すなわち、道は、長久(ちょうきゅう)である。何事も控えめにする、このことを身体の根を深く丈夫にし、長く健康に生きるための筋道という。
第60章
大国を治むるは、小鮮(しょうせん)を烹(に)るが若(ごと)し。道を以(もっ)て天下に蒞(のぞ)めば、其(そ)の鬼(き)は神(しん)ならず。其の鬼の神ならざるのみに非(あら)ず、其の神も人を傷(そこな)わず。其の神の人を傷わざるのみに非ず、聖人も亦(ま)た人を傷わず。夫(そ)れ両(ふた)つながら相(あい)傷わず。故(ゆえ)に徳交(こも)ごも帰す。
大国を治める要点は、小魚を煮る時のようにやたらと弄(いじ)くり回さないことである。
道(タオ)を意識し、無為(むい)によって天下を治めれば、死者の霊魂も霊妙な働きをしなくなる。死者の霊魂が霊妙な働きをしなくなるだけではない、霊妙な働きが人民を害さなくなる。霊妙な働きが人民を害さないだけではない、聖人もまた人民を害さない。死者の霊魂も聖人も両方ともに人民を害さない。それ故(ゆえ)に、死者の霊魂と聖人の徳、すなわち、能力が、代(か)わる代(が)わる人民に及ぶのだ。
第61章
大国は下流なり。天下の交(こう)なり。天下の牝(ひん)なり。牝は常に静を以(もっ)て牡(ぼ)に勝つ。静を以て下(くだ)ることを為(な)すなり。故(ゆえ)に大国以て小国に下れば、則(すなわ)ち小国を取り、小国以て大国に下れば、則ち大国に取らる。故に或(ある)いは下りて以て取り、或(ある)いは下りて而(しこう)して取らる。大国は人を兼ね畜(やしな)わんと欲するに過ぎず、小国は入りて人に事(つか)えんと欲するに過ぎず。夫(そ)れ両者の各(おの)おの其(そ)の欲する所を得んとせば、大なる者は宜(よろ)しく下ることを為(な)すべし。
大国は大河の下流である。天下の河川が合流して交わるところである。天下の国々が想いを寄せる牝(めす)である。牝は常に静かにしていることによって牡(おす)を引き寄せる。静かにしていることによって、謙(へりくだ)るということを実践しているのだ。
それ故(ゆえ)に、大国が小国に謙れば、小国を併合(へいごう)し、小国が大国に謙れば、大国に併合される。或(ある)いは謙って併合し、或いは謙って併合されるのである。
大国は小国を養おうと望んでいるだけであり、小国は大国に仕えたいと望んでいるだけである。
両国がそれぞれの望みを叶えたいと思うならば、大国たるものは、適切に謙らなければならない。
第62章
道は、万物の奥(おう)なり。善人の宝なり。不善人の保(やす)んぜられる所なり。美言(びげん)は以(もっ)て市(か)う可(べ)し、尊行は以て人に加(くわ)う可し。人の不善なるも、何の棄(す)つることか之(これ)有らん。故(ゆえ)に天子を立て、三公を置くに、拱璧(きょうへき)の以て駟馬(しば)に先だつ有りと雖(いえど)も、坐して此(こ)の道を進むるに如(し)かず。古(いにしえ)の此の道を貴(たっと)ぶ所以(ゆえん)の者は何ぞ。以て求むれば得(え)、罪有るも以て免(まぬが)ると曰(い)わずや。故に天下の貴きものと為(な)る。
道(タオ)は、万物の深奥にある要(かなめ)である。それは、善人の宝であると共に不善人を守っている所でもある。
たとえ上辺だけであっても、美しい言葉はそれによって商売が出来るし、たとえ形だけであっても、尊い行いはそれによって人々に恵みを与えることが出来る。そうであるならば、道を弁(わきま)えない不善人であっても、どうして見捨てる必要があるだろうか。たとえ表面上だけでも善いことを行わせればよいのだ。彼らの実体もまた、善人と同じように道であるのだから。それ故(ゆえ)に、天子が立てられ、三公(※64)が置かれる際に、四頭立ての馬車に先立って両手で抱えるほどの大きな玉(※65)を献上するけれども、じっと坐ってこの道を献上することの方が優れているのだ。
古(いにしえ)の人々がこの道を貴(たっと)んだ理由は何だったのか。道に従えば、求めるもの、すなわち、長寿や子孫の存続等が得られ、罪のある不善人であってもその報いを免(まぬが)れることが出来たからではないか。それ故に、天下の貴いものとなったのである。
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※64. 臣下の最高位である太師(たいし)・太傅(たいふ)・太保(たいほ)のことです。
※65. 中央に穴が空いている平い円形の玉器のことです。
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第63章
無為(むい)を為(な)し、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以(もっ)てす。難(かた)きを其(そ)の易(やす)きに図り、大を其の細に為す。天下の難事は必ず易きより作(お)こり、天下の大事は必ず細(さい)より作こる。是(ここ)を以て聖人は、終(つい)に大を為さず。故(ゆえ)に能(よ)く其の大を成す。夫(そ)れ軽諾(けいだく)は必ず信(しん)寡(すく)なく、易しとすること多ければ必ず難きこと多し。是を以て聖人すら猶(なお)之(これ)を難しとす。故に終に難きこと無し。
無為(むい)を実践し、無事(※66)を仕事とし、恬淡(てんたん)(※67)な生活を味わう。
小さいことを大きいこととして扱い、少ないことを多いこととして扱う。怨みのある相手には徳、すなわち、道(タオ)の能力をもって対する。難しいことはそうなる前の易(やさ)しいうちに対処し、大きいことはそうなる前の細かいうちに対処する。天下の難事は必ず易しいことから起こり、天下の大事は必ず細かいことより起こる。この事を理由として聖人は、終(つい)ぞ大きいことを行わない。それ故(ゆえ)に大きい仕事を成し遂げる。
物事を軽々しく承諾すれば必ず信頼が少なく、物事を易しいとすることが多ければ必ず難しいことが多くなる。
それ故に、聖人でさえもあらゆる物事を難しいとする。それ故に、終(つい)ぞ難事にあうことがない。
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※66. 無事は無為と同じことです。
※67. 無欲・無執着という意味です。
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第64章
其(そ)の安きは持(たも)ち易(やす)く、其の未(いま)だ兆(きざ)さざるは謀(はか)り易し。其の脆(もろ)きは泮(と)かし易く、其の微なるは散じ易し。之(これ)を未だ有らざるに為(な)し、之を未だ乱れざるに治む。合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)より生じ、九層の台も累土(るいど)より起こり、千里の行も足下(そっか)より始まる。為す者は之を敗(やぶ)り、執(と)る者は之を失う。是(ここ)を以て聖人は、為すこと無し、故(ゆえ)に敗るること無し。執ること無し、故に失うこと無し。民(たみ)の事に従うは、常に幾(ほと)んど成るに於(お)いて而(しこう)して之を敗る。終わりを慎むこと始めの如(ごと)くなれば、則(すなわ)ち敗るる事無し。是を以て聖人は、欲せざるを欲して、得難(えがた)きの貨を貴ばず、学ばざるを学びて、衆人の過ぎたる所を復(かえ)し、以て万物の自然を輔(たす)けて、而(しか)も敢(あ)えて為さず。
安定しているものは維持(いじ)し易(やす)く、未(いま)だに何事も起こっていない間は計画を立て易い。脆(もろ)いものは溶かし易く、細かいものは散らし易い。問題が脆弱(ぜいじゃく)なうちに、すなわち、問題の原因となる物事がまだ弱い間(あいだ)に対策を講じ、混乱が微細(びさい)なうちに、すなわち、混乱の原因となる物事がまだ細かい間に安定させてしまう。
一抱(ひとかか)えほどの木も毛先くらいの芽が育ったものであり、九層の高台(こうだい)も土籠(つちかご)の土の積み重ねから起こったものであり、千里の行程も一歩より始まったものである。
道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識や際限のない欲望によって物事に手を加える者は物事を壊し、物事に執われる者は物事を失う。この事を理由として聖人は、無為(むい)を実践する、それ故(ゆえ)に物事を壊すことがない。物事に執われないでいる、それ故に物事を失うことがない
人民が仕事に従事すると、常に、ほとんど完成しているところでそれを駄目(だめ)にしてしまう。仕事の終盤における用心が仕事の開始の時のようであれば、仕事を駄目にすることはない。
この事を理由として聖人は、無欲でいることを欲して、得ることが難しい宝物等を重んじない。また、学問を学ばないという事を学んで、知識が過剰となった人民を、自然のままの姿へと返す。そして、万物が自然のままに変化して完成することを助け、しかも、万物に対して余分な手を加えるという無理を行わない。
第65章
古(いにしえ)の善く道を為(な)す者は、以(もっ)て民を明らかにするに非ず、将(まさ)に以て之(これ)を愚かにせんとす。民の治め難(がた)きは、其(そ)の智(ち)多きを以てなり。故(ゆえ)に智を以て国を治むるは、国の賊なり。智を以て国を治めざるは、国の福なり。此(こ)の両者を知るは、亦(ま)た稽式(けいしき)なり。常に稽式を知る、是(こ)れを玄徳(げんとく)と謂(い)う。玄徳は深し遠し。物と与(とも)に反(かえ)り、然(しか)る後(のち)に乃(すなわ)ち大順(たいじゅん)に至る。
古代において善く道(タオ)を実践した人物は、そのことによって人民を利口にしたのではない、まさに、そのことによって人民を愚かに、すなわち、素朴にしようとしたのである。
人民が治め難(にく)いのは、人民に、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識が多いからである。それ故(ゆえ)に、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識よって国を治めるのは、国の害である。道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識によって国を治めないのは、国の幸いである。
この二つを知ることは、国を治める法則を知ることである。常に国を治める法則を知ることを、玄徳、すなわち、暗くて奥深い能力と言う。玄徳は、途方もなく深くて広く世界の全てに及ぶ。そしてそれは、世間と共に道へと帰り、その後に大いに道に従うのである。
第66章
江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃっこく)の王と為(な)る所以(ゆえん)の者は、其(そ)の善く之(これ)に下(くだ)るを以(もっ)て、故(ゆえ)に能く百谷の王と為る。是(ここ)を以て民に上(かみ)たらんと欲すれば、必ず言(げん)を以て之に下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身(み)を以て之に後る。是を以て聖人は、上に処(お)りて而(しか)も民は重しとせず、前に処りて而も民は害とせず。是を以て天下は推(お)すことを楽しんで而も厭(いと)わず、其の争わざるを以て、故に天下能く之と争う莫(な)し。
大河や海が多くの谷川を集めてその王となるのは、それらが谷川よりも低いところにあるからである、それ故(ゆえ)に多くの谷川の王となるのである。
このことを理由として、人民の上に立とうと欲するならば、必ず言葉によって人民に遜(へりくだ)り、人民の先頭に立とうと欲するならば、必ず自身を人民の後ろに置く。
このことを理由として聖人は、人民の上にいても人民は重苦しいと思わず、人民の前にいても人民は邪魔だとしない。
このことを理由として天下の人民は、聖人を押し戴(いただ)くことを楽しんで厭(いと)うことがない、聖人は誰とも争わないので、天下の人民は聖人と争わないのである。
第67章
天下皆(みな)我を道は大なるも不肖(ふしょう)に似たりと謂(い)う。夫(そ)れ唯(た)だ大なり、故(ゆえ)に不肖に似たり、若(も)し肖ならば、久しいかな其(そ)の細なるや。我れに三宝(さんぽう)有り、持して之(これ)を保つ。一に曰(いわ)く慈、二に曰く倹(けん)、三に曰く敢(あ)えて天下の先(さき)と為(な)らず。慈なるが故に能(よ)く勇、倹なるが故に能く広し、敢えて天下の先と為らざるが故に能く器(き)の長(ちょう)を成す。今、慈を舎(す)てて且(まさ)に勇ならんとし、倹を舎てて且に広からんとし、後なるを舎てて且に先ならんとすれば、死せん。夫(そ)れ慈は、以(もっ)て戦えば則(すなわ)ち勝ち、以て守れば則ち固(かた)し。天将(まさ)に之を救わんとし、慈を以て之を衛(まも)る。
天下の人々は皆、私の説く道(タオ)は、大きいけれども愚かに見えると言う。それはただただ大きいものだ、それ故に愚かに見えるのだ。もしそれが賢く見えるならば、それはとうの昔につまらないものになっていただろう。
私には三つの宝があって、それを保持している。一つ目は慈しみであり、二つ目は慎(つつ)ましさであり、三つ目はあえて天下の先頭に立たないことである。慈しみがあるが故に勇敢であることができる、慎ましいが故に広大な心でいることができる。あえて天下の先頭に立たないが故に有能な人々の長(おさ)となることができる。
今、慈しみを捨てて勇敢になろうとし、慎ましさを捨てて広大な心でいようとし、人々の後ろにいることを捨てて先頭に立とうとすれば、死ぬだけだ。
慈しみは、それを保持して戦えば勝利し、それを保持して防戦すれば強固である。自然の摂理も、まさにこれ、すなわち、慈しみの心のある軍隊・国を救おうとし、慈しみをもってこれを守る。
第68章
善く士為(た)る者は武(ぶ)ならず。善く戦う者は怒らず。善く敵に勝つ者は与(とも)にせず。善く人を用うる者は之(これ)が下と為(な)る。是れを不争の徳と謂(い)い、是れを人の力を用うと謂い、是れを天に配すと謂う。古(いにしえ)の極(きょく)なり。
善い兵士は静かで大人しい。善く戦う者は決して怒らない。善く敵に勝つ者は敵と関わらない。善く人を働かせる者は人に謙(へりくだ)る。これを不争の徳、すなわち、争わない能力といい、これを人の力を使うといい、これを自然の摂理に匹敵(ひってき)するという。古(いにしえ)からの決まり事である。
第69章
兵を用うるに言えること有り。吾(わ)れ敢(あ)えて主(しゅ)と為(な)らずして而(しこう)して客(きゃく)と為れ、敢えて寸を進まず而して尺(しゃく)を退くと。是(こ)れを、行くに行(みち)無く、攘(かか)ぐるに臂(ひじ)無く、ひ(変換できず。てへんに乃)くに敵無く、執(と)るに兵無し、と謂(い)う。禍(わざわ)いは敵を軽んずるより大なるは莫(な)し。敵を軽んずれば、幾(ほと)んど吾(わ)が宝を喪(うしな)わん。故(ゆえ)に兵を抗(あ)げて相(あい)加うれば、哀しむ者勝つ。
戦(いくさ)についてこういうことが言える。「こちらはあえて戦の主導者とならず受け身にまわれ、あえて親指ほどの距離も前進しないで、むしろ一歩後退せよ。」と。
これを、「行こうにも道がなく、袖(そで)を捲(まく)ろうにも腕がなく、引き込もうにも敵がなく、手に執ろうにも武器がない。」という。(※68)
敵を軽く見ることよりも大きい災いはない。敵を軽く見れば、私の持つ宝、すなわち、慈しみ・慎(つつ)ましさ・あえて天下の先頭に立たないことをほとんど失ってしまう。それ故に、軍勢を進めて兵力が等しい時は、慈しみの心をもってそのような事態を哀しむ者の方が勝利するのだ。
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※68. 以上の文章は、第68章にある不争の徳の実践を説いたものと言えます。
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第70章
吾(わ)が言(げん)は甚(はなは)だ知り易(やす)く、甚だ行い易きに、天下能(よ)く知るは莫(な)く、能く行うは莫し。言に宗(そう)有り、事(こと)に君(きみ)有り。夫(そ)れ唯(た)だ知ること無し、是(ここ)を以(もっ)て我れを知らず。我れを知る者希(まれ)なれば、則(すなわ)ち我れ貴(たっと)し。是を以て聖人は褐(かつ)を被(き)て玉(たま)を懐(いだ)く。
私の言っていることは、大変解り易(やす)く、大変実践し易いのに、天下にそれを詳しく知る者はいないし、十分に行う者もいない。
言葉には大本(おおもと)があり、政治には君主がある(※69)。それと同じように、世界にもその中心であるところの道(タオ)があるのだが、そのことを知る者は皆無と言ってよい。だから誰も私のことを知らないのだ。
私を知る者は滅多(めった)にいない、それは、つまり、私が貴(たっと)いからだ。このことを理由として聖人は、粗末(そまつ)な衣(ころも)を着た貧しい生活を送りつつ、その心のうちに宝玉(ほうぎょく)、すなわち、道を保持するのだ(※70)。
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※69. 物事には中心というものがあるということです。
※70. 聖人は、暮らしは貧しいけれども、道を理解しそれに従って生きているということです。
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第71章
知りて知らずとするは上(じょう)なり。知らずして知るとするは病(へい)なり。夫(そ)れ唯(た)だ病を病とす。是(ここ)を以(もっ)て病あらず、聖人は病あらず。其(そ)の病を病とするを以て、是を以て病あらず。
知っていても知らないとするのは最上である。知らないのに知っているとするのは欠点である。当然のように欠点を欠点として認識する、このことによって欠点はなくなる。聖人には欠点がない。欠点を欠点として認識することによって、このことによって欠点がない。(※71)
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※71. 他の章に、「深くたたえられた水のようであり、何かが存在しているように思える。私は、そ
れが誰の子であるのか知らない。(第4章)」、「禍(わざわ)いには幸福が寄り添っており、
幸福には禍いが潜んでいる。誰がその極限を知っているだろうか。(第58章)」、「聖人でさ
えもあらゆる物事を難しいとする。(第63章)」とあるように、聖人は「自分は世界を十分に
知ってはいない。」ということを認識しています。
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第72章
民(たみ)威(い)を畏(おそ)れされば、則(すなわ)ち大威(たいい)至る。其(そ)の居(お)る所を狎(かろ)んずること無く、其の生くる所を厭(あつ)すること無かれ。夫(そ)れ唯(た)だ厭せず、是(ここ)を以(もっ)て厭せられず。是を以て聖人は、自(みずか)ら知りて自ら見(あら)わさず。自ら愛して自ら貴(たっと)しとせず。故(ゆえ)に彼を去(す)てて此(こ)れを取る。
人民が君主の権威を恐れなくなると、反乱・暴動等の大きな脅威が発生する。
人民の日常を軽んじてはならない、その生活を押し潰してはならない。当然のように人民を押し潰さない、そうであってこそ君主は人民に押し潰されない。
このことを理由として聖人は、自分の立場をよく知って、人民に対して自分を見せつけない。自分を大切にしていても、人民に対して自分を貴(たっと)いとはしない。それ故(ゆえ)に、作為を捨てて無為を取るのだ。
第73章
敢(あ)えてするに勇なれば則(すなわち)ち殺され、敢えてせざるに勇なれば則ち活(い)く。此(こ)の両(ふた)つの者は、或(ある)いは利あり或いは害あり。天の悪(にく)む所、孰(たれ)か其(そ)の故(ゆえ)を知らん。是(ここ)を以(もっ)て聖人すら猶(なお)之(これ)を難(かた)しとす。天の道は、争わずして而(しか)も善く勝ち、言わずして而も善く応じ、召かずして而も自(おの)ずから来り、せん(変換できず。いとへんに單)然(ぜん)として而も善く謀る。天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして而も失わず。
勇気を持って行動すれば殺され、勇気を持って行動しなければ生き延びる。この二つの事は、ある場合は利益となり、ある場合は害悪となる。何(いずれ)かの行動が自然の摂理に反しているのだが、何故(なぜ)それがそうであるのか、誰もその訳(わけ)を知らない。このことを理由として、聖人ですらそれを知ることを難しいとする。
自然の摂理、すなわち、「人の善悪を超えたところの、『世界が自ずからそうであること』における法則」は、争わずに勝利し、何も言わずに応答し、招かずに来訪させ、緩(ゆる)いのに善く計画する。自然の摂理という網は広大である、それは、目は粗いけれども何物をも取り逃すことがない。
第74章
民死を畏(おそ)れざれば、奈何(いかん)ぞ死を以(もっ)て之(これ)を懼(おそ)れしめん。若(も)し民をして常に死を畏れしめ、而(しこう)して奇(き)を為(な)す者は、吾執(とら)えて而して之を殺すを得んも、孰(たれ)か敢(あ)えてせん。常に殺(さつ)を司(つかさど)る者有りて殺す。夫(そ)れ殺を司る者殺す。是れ大匠(たいしょう)斲(き)る。夫れ大匠に代りて斲る者は、其の手を傷つけざる有ること希(まれ)なり。
人民が自暴自棄(じぼうじき)になって死を恐れなくなったら死刑の意味はなくなる。人民が常に死を恐れる社会を実現し、そこで邪悪な行為をする者があれば、私はこれを捕らえて死刑にすることが出来るが、何故(なぜ)態々(わざわざ)そのようなことをするだろうか。
常に死刑を司(つかさど)る者である自然の摂理が罪人を殺すのである。自然の摂理が罪人を殺すのは、名工が木を伐(き)るのと同じことである。そうであるにもかかわらず名工に代わって木を伐る者は、自分の手に怪我(けが)を負わないということは稀(まれ)である。
第75章
民(たみ)の饑(う)うるは、其(そ)の上の税を食(は)むことの多きを以(もっ)て、是(ここ)を以て饑う。民の治め難(がた)きは、其の上の為(な)すこと有るを以て、是を以て治め難し。民の死を軽んずるは、其の生を求むることの厚きを以て、是を以て死を軽んず。夫(そ)れ唯(た)だ生を以て為すこと無き者は、是(こ)れ生を貴(たっと)ぶより賢(まさ)る。
人民が飢えるのは、為政者(いせいしゃ)が重税をかけるからだ、それ故(ゆえ)に飢えるのだ。人民が治め難(にく)いのは、為政者が、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識や際限のない欲望に基づいて政治を行うからだ、それ故に治め難いのだ。人民が自分の死についてあまり考えないのは、人生における富や、地位、名誉等への執着が厚過ぎるからだ、それ故に自分が死ぬことについてあまり考えないのだ。
それが当然であるかのように、人生を豊かにしようとして殊更(ことさら)な行為をしない者、すなわち、道(タオ)から外れた行為をしない者は、人生を大事にして重んじる者よりも、思慮分別(しりょぶんべつ)がある。
第76章
人の生るるや柔弱(にゅうじゃく)、其(そ)の死するや堅強なり。万物草木の生ずるや柔脆(じゅうぜい)、其の死するや枯槁(ここう)なり。故(ゆえ)に堅強なる者は死の徒にして柔弱なる者は生の徒なり。是(ここ)を以(もっ)て兵は強ければ則(すなわ)ち勝たず、木は強ければ則ち共(くわ)えられる。強大なるは下(しも)に処(お)り、柔弱なるは上(かみ)に処る。
人の身体は生まれた時は柔らかくてしなやかだが、死ねば堅くて強張(こわば)る。万物草木は生じた時は柔らかくて脆(もろ)いが、死ねば枯れて乾涸(ひから)びる。
それ故(ゆえ)に、堅くて強張った者は死の仲間であり、柔らかくてしなやかな者は生の仲間である。
この事を理由として、軍隊は硬直すれば、自在に動けなくなって戦(いくさ)で勝つ事が出来ず、木は硬ければ、人間の役に立つので伐採(ばっさい)される(※72)。強固で大きいものは下の地位にいる、柔らかくてしなやかなものは上の地位にいる。
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※72. すなわち、罰を加えられるということです。
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第77章
天の道は、其(そ)れ猶(なお)弓を張るがごとき与(か)。高き者は之(これ)を抑(おさ)え、下(ひく)き者は之を挙(あ)げ、餘(あま)りある者は之を損じ、足らざる者は之を補う。天の道は、餘り有るを損して而(しこう)して足らざるを補う。人の道は則ち然(しか)らず。足らざるを損して以(もっ)て餘り有るに奉(ほう)ず。孰(たれ)か能(よ)く余り有りて以て天下に奉ぜん。唯(た)だ有道者(ゆうどうしゃ)のみ。是(ここ)を以て聖人は、為(な)すも而(しか)も恃(たの)まず、功成るも而も処(お)らず。其れ賢(けん)を見(あら)わすを欲せず。
自然の摂理は、弓を張るようなものであろうか。上端(じょうたん)の未弭(うらはず)を下げ、下端(かたん)の本弭(もとはず)を上げる、余りのあるところを減らし、足りないところを補うのである。
自然の摂理は、余りのあるところを減らして足りないところを補う。人の道理、すなわち、道(タオ)に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と際限のない欲望を有する人間の道理はそうではない。足りないところを減らして、余りのあるところに捧げる(※73)。
誰が有り余る財産を天下の貧しい人民に差し出すだろうか。それは唯(ただ)、有道者、すなわち、道を体得した人物のみである。
このことを理由として聖人は、何事かを成し遂げても、その成果を頼りとせず、成功しても、その功績に居すわらない。聖人は無為を実践するのみで、自分の賢さを天下に見せつけようとは思わないのだ。
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※73. 貧しい人民に重税をかけて、有り余るほどの財産を持つ為政者へ納めさせるということです。
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第78章
天下に水より柔弱(にゅうじゃく)なるは莫(な)し。而(しか)も堅強を攻むる者、之(これ)に能(よ)く勝(まさ)る莫(な)し。其(そ)の以(もっ)て之を易(か)うる無きを以てなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざる莫きも、能く行う莫し。是(ここ)を以て聖人は云(い)う、国の垢(あか)を受くる、是(こ)れを社稷(しゃしょく)の主(しゅ)と謂(い)い、国の不祥(ふしょう)を受くる、是を天下の王と謂う、と。正言は反するが若(ごと)し。
天下に水よりも柔弱(にゅうじゃく)なものはない。しかし、堅強なものを攻めるのに、これよりも勝るものはない。水の柔弱等の性質を変えられるものが何もないからである。(※74)
このことから、弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛なるものに勝つことは、天下に知らない者はいないけれども、しかして、柔弱なあり方を十分に実践する者はというと誰もいない。
このことを理由として聖人は言う、「国の汚れをその身に引き受けるのを君主と言い、国の災難をその身に引き受けるのを天下の王と言う。」と。本当に正しい言葉は事実に反しているかのように聞こえる。
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※74. この文章は、洪水等で岩石等が転がされたりすることや、城に対する水攻め等のことを言って
いるのだと考えられます。
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第79章
大怨(たいえん)を和するも、必ず餘怨(よえん)有り。安(いずく)んぞ以(もっ)て善と為(な)す可(べ)けんや。是(ここ)を以て聖人は、左契(さけい)を執(と)りて而(しか)も人を責めず。徳有るは契を司(つかさど)り、徳無きは徹(てつ)を司る。天道は親(しん)無し、常に善人に与(くみ)す。
大きな怨みを和解させても、必ず幾(いく)らかの怨みが残る。それでどうして善、すなわち、自然の摂理に合致していると言えるだろうか。
このことを理由として聖人は、左契(さけい)(※75)を持っていても相手から厳しく取り立てたりしない(※76)。徳、すなわち、道(タオ)の能力のある者は怨まれ難(にく)い割り符(ふ)の管理を担当し、徳のない者は怨まれやすい徴税を担当する。
自然の摂理に依怙贔屓(えこひいき)はない。常に善人、すなわち、無為を実践している者の味方となる。
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※75. 契(けい)とは割り符のことです。木片に刻んだ証文を二つに割り、左を債権者、右を債務者
が持ちます。
※76. 人から怨まれることをしないということです。
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第80章
小国寡民(しょうこくかみん)、什伯(じゅうはく)の器有るも而(しか)も用いざらしめ、民をして死を重じて而(しこ)うして遠くへ徙(うつ)らざらしめば、舟輿(しゅうよ)有りと雖(いえども)も、之(これ)に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳(つら)ぬる所無し。人をして復(また)縄を結んで而うして之を用いしめ、其(そ)の食を甘(うま)しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましむ。隣国相望み、鶏犬(けいけん)の声相聞こゆるも、民は老死に至るまで、相往来(おうらい)せず。
国は小さく人口は少ない。高い機能を有する多くの道具があっても使わないようにさせ、人民には自分の命を何よりも大切にさせて遠方へは移動しないようにさせる。舟や車はあってもそれに乗って行く所はなく、鎧(よろい)や武器はあってもそれらを連(つら)ねる戦場はない。
人民には、昔のように縄を結んで意志の伝達や記憶の役に立たせ、その自分達の食事を美味(うま)いとさせ、その自分達の衣服を美しいとさせ、その自分達の住居に安らがせ、その自分達の風俗を楽しませる。お互いの人民の姿が見え、それぞれの鶏や犬の鳴き声が聞こえるほどの近くに隣国があっても、どちらの国の人民もお互いに生涯行き来しない。(※77)
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※77. この文章の作者が理想とした天下は、多くの小国の集合体といったものだったようです。そし
てそれらの国々は、お互いが一切交流することなく、また、自分達の文明を進歩させることもあ
りませんでした。
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第81章
信言(しんげん)は美ならず、美言は信ならず。善なる者は弁ぜず、弁ずる者は善ならず。知る者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。聖人は積まず。既(ことごと)く以(もっ)て人の為(ため)にして、己(おの)れは愈々(いよいよ)有り、既く以て人に与えて、己は愈々多し。天の道は、利して而(しこ)うして害せず。聖人の道は、為(な)して而うして争わず。
信実(しんじつ)の言葉は美しくない。美しい言葉は信実ではない。道(タオ)を体得した者は巧みに語らない、巧みに語る者は道を体得していない。道を理解している者は博識ではない、博識な者は道を理解していない。
聖人は、万物を自ずからそうであるままにしておいて、自分のものとして蓄積(ちくせき)しない。ことごとく人の為(ため)に働いて、自分はますます徳、すなわち、善き行いを蓄積し、ことごとく人に利益を与えて、自分はますます徳を豊かにする。
自然の摂理、すなわち、「人の善悪を超えたところの、『世界が自ずからそうであること』における法則」は、万物に利益を与えて、何物にも危害を加えない。聖人の摂理、すなわち、「人の善悪を超えたところの、『聖人が自ずからそうであること』における法則」は、無為(むい)、すなわち、「道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と、際限のない欲望を捨てると共に、人民からそれらのものを取り除き、全ての事物を自然のまま、すなわち、自ずからそうであるままにしておいて、余分な手を加えないこと」を実践することにより、全ての事物を完成させて、何物とも争わない。
最後に、私なりに老子の思想をまとめてみましたので、僅かですが述べさせていただきたいと思います。
道(タオ)を修める人物は、日々、己の知識と欲望を減らしていきます。そして最終的に無知・無欲・無意図の状態に至り、その心は空っぽとなります。その空っぽの心、すなわち、静かな心で世界を観察すると、そこには、天地の間から生まれた万物が、再び天地の間へ帰って行くという大きな循環が広がっています。その人物は、天地や万物の中に、それらを活動させる「気」を感じますが、しかし、さらにその奥に、「気」をも動かしている何かを直感します。それは、世界の始まりであると共に全ての事物そのものであり、その運動法則に法(のっと)って、疲弊することなく超絶にして巨大な活動を続けています。このものは人間の五感では認識できないので「無」としか言えないものですが、『老子』の文章を書いた人物は、これに道という字名をつけました。これらのことから、全ての事物は、自然のまま、すなわち、自ずからそうであるままにしておけば、道の活動により何の無駄も無理もなく、自ら成長し完成し衰退し消滅します。それ故に、人間とその社会もまた、人が、道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と際限のない欲望に基づいて手を加えなければ、自然のままに変化し完成した上でその天寿を全うします。これが『老子』の編集者の理想とする有り様であり、その人物は天下の全てがそうであるようにと願っていたのだと思われます。
以上をもちまして、私が老子の思想の核心を探究した結果として得たところの知識等についての記述を終わらせていただきます。纏(まと)まりのない文章でありましたことは何卒ご容赦下さいますようお願い申し上げます。最後までお読み下さいましてありがとうございました。
あとがき.
現代社会は、科学や思想、社会制度等の発達により、人の寿命は大きく伸び生活も大変豊かになりました。しかし、それと同時に、世界には地球温暖化・倫理の荒廃・貧困等の問題がおきています。世の中の先行きは不透明であり、多くの人が何を信じ、どう生きていったらよいのかわからない状況に置かれているようです。老子の思想からこれらの状況をみるとどうなるでしょうか。
まず科学についてですが、その誕生は古代ギリシアにおいて自然哲学者達が世界というものに純粋な好奇心を抱き、それを神話的にではなく合理的に探究し始めたことにその原因がありました。そして彼らの生み出した科学は、長い時を経たのち近代科学へと発展し、高度な科学文明を築き上げました。では、この科学というものは、老子が否定したところの「道(タオ)に対する理解を伴わない余計な知恵・知識と際限のない欲望」に当てはまるのでしょうか。私は当てはまらないと思います。なぜならば、科学の根元には「この世界がどういうものなのか合理的に知りたい」という素朴な欲望があるだけであり、何らかの利益を追求するというような意志が全くないからです。
老子は、全ての知恵・知識と欲望を否定したわけではありませんでした。例えば、農業の知恵・知識については否定していませんし、建築や衣料についてのそれもそうだと思われます。なぜならばそれらは、余計な知恵・知識ではなく必要な知恵・知識であり、際限のない欲望から為すものではなく素朴な欲望から為すものだからです。
私は、科学は農業等と同じように、ある条件下において、自然な状態、すなわち、自ずからそうであるままな状態の人間から、自然なままに出てきたものであると考えます。そして、それ故に、それは、人間の自然な営みであり、そこに、自然の働きに対する理解を伴わない浅はかな知恵・知識や際限のない欲望等が加わらない限り、人間にとって有益なものであると思います。
老子の思想においては、文明の進歩は否定されていますが、以上のことから、私は、人類の科学文明とその進化は、矛盾した言い方ですが、道(タオ)の運動と働きを尊ぶ老子の思想に適うものであると判断しています。
次に、思想や社会制度の面についてですが、近代において人間の知力は、識字率の向上や科学の発展等によって、それ以前の時代よりも遥かに高くなりました。しかしそうなると人々は、その高まった知能と合理的精神から、次第に神という超自然的存在を信じなくなり、それを基にした様々な価値観や教え、戒め等も肯定しなくなりました。そこに現れたのが、宗教・道徳・慣習及び、世界・人間等には何の価値もないと考える「ニヒリズム」という思想であり、この思想と、主に1980年代から社会の表面に現れた「新自由主義」という思想により、アメリカ・イギリス・フランス・日本等の自由民主主義諸国には大きな問題が発生しました。国によりその程度に差はありますが、人々が「ニヒリズム」に陥ることにより社会全体に倫理の低下が拡大すると共に、「新自由主義」の政策である小さな政府・規制緩和・グローバリズム等により各国の製造業は衰退し、その中流階級は減少し、貧困が深刻化しました。
まず「ニヒリズム」すなわち「虚無主義」についてですが、キリスト教文明圏においては、全知全能の神の存在しない世界は単なる「空虚」・「虚無」であり、そこには絶望等しかないということになるかもしれませんが、老子の思想においては、「無」こそは宇宙の主宰神・造物主よりも以前に存在している、森羅万象の根元であると共に実体であり、それは「空虚」どころか超絶にして巨大な力を持ち、その運動法則に法って延々と働きつつ、あらゆる事物を生み出し続けています。そして、国家や人民は、その法則に合致して在りさえすれば、平穏無事な状態を保てます。それ故に、老子の思想においては、神の喪失による「ニヒリズム」の発生と、そのことを原因とした倫理の低下は起こり得ないと思われます。
そして、「新自由主義」についてですが、日本を含む欧米諸国等の現状を見る限り、その思想に基づいた政策は、20世紀における共産主義思想に基づいた政策と同じように、純粋に、失敗に終わったと言えるようですので、この思想は結果として、老子の言うところの「道に対する理解を伴わない余計な知恵・知識」ということになるのではないかと思われます。
老子の思想は、道の運動と働き、すなわち、世界の自然な運動と働きを尊びます。では現代において、人類とその文明の自然な有り様とはどう言うものなのでしょうか。私は、それはカルダシェフスケール(※78)にあるように「宇宙文明」へと向かっていくことではないかと思っています。すなわち私は、あらゆる面において、主として知性と理性の力を持って常に進化し続けるということが、人類とその文明の自然な姿であると考えるのです。
楽天的に過ぎると言われるかもしれませんが、私は、現代社会の様々な問題は、一人一人の人間の進化と、それに伴う思想・政治・科学技術等の更なる発展によって解決されうるものであると考えます。
『老子』には、「天は長く地は久し。」という言葉がありますが、私は、人類とその文明は、その天地よりも更に長く久しいものではないかと思っています。
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※78. 1964年、ニコライ・カルダシェフ(1932年~2019年 旧ソ連の天文学者)が考え出
した、宇宙文明のレベルを示す3段階のスケール。
タイプⅠ 惑星文明・・・惑星で利用できる全エネルギーを使用できる文明。
タイプⅡ 恒星文明・・・恒星系で利用できる全エネルギーを使用できる文明。
タイプⅢ 銀河文明・・・銀河系で利用できる全エネルギーを使用できる文明。
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参考文献:武内義雄訳注 『老子』 岩波文庫、1943年
高橋進著 『老子 人と思想1』 清水書院、1970年
小川珠樹訳註 『老子』 中公文庫、1973年
小川珠樹・今鷹真・福島吉彦訳 『史記列伝(一)』 岩波文庫、1975年
金谷治訳注 『荘子 第四冊 [雑篇]』 岩波文庫、1983年
金谷治著 『老子』 講談社学術文庫、1997年
志賀一郎著 『老子真解』 汲古書院、2000年
ステファン・C・ファインスタイン著 田口佐紀子訳 『目で見る世界の国々53 中国』
国土社、2001年
中村泰三編著 シグマベスト 『理解しやすい 地理B 【改訂版】』 ナツメ社、2003年
愛宕元編著 シグマベスト『理解しやすい 世界史B 【改訂版】』文英堂、2003年
藤田正勝編著 シグマベスト『理解しやすい 倫理 【新装版】』 文英堂、2006年
蜂屋邦夫著 『図解雑学 老子』 ナツメ社、2006年
蜂屋邦夫訳注 『老子』 岩波文庫、2008年
神塚淑子著 『老子』ー〈道〉への回帰 岩波書店、2009年
貫成人著 『図解雑学 哲学』 ナツメ社、2009年
新井祥穂(東京農工大学助教)監修 小田切英、小松亮一、鈴木しのぶ、武馬弘典、吉田忠正、
渡辺一夫執筆
『帝国書院 地理シリーズ 世界の国々1 アジア州①』 株式会社 帝国書院、2012年
福永光司訳 『老子』 ちくま学芸文庫、2013年
池田知久著 『老子』その思想を読み尽くす 講談社学術文庫、2017年
池田知久著 『老子 全訳注』 講談社学術文庫、2019年
蜂屋邦夫著 『老子探求 生きつづける思想』 岩波書店、2021年
エマニュエル・トッド著 大野舞訳 『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』
株式会社 文藝春秋、2024年
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「カルダシェフ・スケール」
http://ja.wikipedia.org>wiki>カルダシェフ・スケール 2024年12月25日
その他多数。
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